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7月28日は、憲法改正法第十四条が米国憲法の一部であるとして、当時の国務長官ウイリアム・スワードによって公式に認証された日である。その数週間前の1868年7月9日、米国の3分の4の州は憲法改正法第十四条を批准し、最も重要な憲法改正のひとつになった。奴隷制を禁止した米国憲法改正法第十三条、および投票の権利を与えた憲法改正法第十五条とともに、第十四条は、南北戦争後の「再建改正法」と呼ばれている。憲法改正法第十四条の主な条項は、人種、皮膚の色、社会的背景に関係なく、米国で誕生したすべての人々に市民権を与え、全ての市民に自由と財産を保持する平等の権利を保証したものである。

しかし、これらの条項には、全ての状況で同じ待遇をすることは要求されていなかった。1865年の南北戦争後、元奴隷に自由と平等の権利を保証する憲法改正法に反対する勢力が台頭した。多くの州、特に南部の州の白人により、人種差別を合法化する黒人取締り法(ブラック・コード)が制定された。ブラック・コードは、奴隷制度が経済の柱であった南部の州で、黒人の政治的、社会的、経済的権利を否定する大多数の白人が制定したもので、基本的には、主人と奴隷の関係を復元することを狙った法である。奴隷に残酷な扱いをした白人に対する、元奴隷の復讐を避けるため制定されたとの説もある。連邦政府の議会はブラック・コードに対抗するため、また、元奴隷が米国市民であることを明確にするため1866年に公民権法を制定するが、各州の圧力を制することは不可能であった。

アメリカ合衆国から独立した元南部連合州は、更に人種差別法であるジム・クロウ法を1877年に制定したため、黒人は1863年の奴隷解放後も憲法で保証された自由と平等の扱いを受けたことはなかった。白人と黒人の公的施設での分離を強制し「分離しても平等である」とする人種分離政策は合憲であった。黒人及び他の少数民族に対するこの分離政策は1954年のブラウン対教育委員の裁判、および1964年の公民権法の成立まで続くことになる。ジム・クロウ法には、複数の人種差別法が含まれていて、有権者の資格を制限する投票税(Poll Tax)もその一つである。投票税は、元奴隷に投票権を与えることは白人有力者に不利になると考え、黒人やインディアンに投票料を課したり、読み書きの能力試験として、憲法を解釈できる者だけ投票させる困難な条件を設定したものである。近年、論争の的になっている有権者ID法は別名、有権者抑圧法と呼ばれ、投票税とほぼ同類であるとして、憲法違反であると論議されている。

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