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入学に成功した黒人学生らと関係者  入校に反対する白人達 〔有名な写真〕

派遣された連邦兵が黒人学生を誘導

公民権運動時代の1950年60年代の期間に、人種差別を最も露骨に表した事件のひとつは、アーカンソー州のリトル・ロックにあるセントラル・ハイ・スクルールで白人だけが通っていた高校に、堂々と入学を試みた9人の黒人学生が猛烈な阻止を受けたことである。その事件は1957年の9月25日に発生し、今日は55年目の記念日である。

人種分離や人種差別の紛争は、ちょうどこの年代がピークであるが、公民権運動は長期的な社会的闘争として米国近代歴史の暗い部分を象徴している。9人の黒人学生は、1954年5月17日、最高裁の最も重要な公民権運動の判例となったブラウン対教育委員会の裁判で、「公立学校での人種分離は憲法違反である」と決定した当時のアール・ウォーレン首席裁判官の決定に勇気づけられたものと思われる。しかし、当時、ブラウン対教育委員会の裁判の判決は大規模な反対に遭遇し、100人以上の南部出身の議員らは、この決定を覆す挙動に出る。更に、この判定に納得しなかった多くの白人は、当日セントラル・ハイ・スクルールに押し寄せ、校庭を歩いている黒人学生等にさんざん野次を飛ばし、入学を阻止する動きにでる。しかし、当時のアーカンソー州知事、オーバル・ファーバスは、暴動を制止することを拒否した。

当時、人種分離問題にはあまり深い関心を持たなかったアイゼンハワー大統領は、紛争の拡大を懸念し、最高裁の判例を強化する目的で連邦裁判所にセントラル・ハイ・スクルールの人種分離停止を命令させた。怒った白人暴徒らはこの日、学校に溢れ、9名の黒人学生の入校を阻止したため、暴動を制止する必要に迫られ、連邦兵を派遣した。アイゼンハワー大統領の措置に効果があって、この白人高校で初の黒人学生の入学が可能になった。あれから50年後の2007年7月、筆者が訪問した時は、セントラル・ハイ・スクルールは静かな住宅街近辺にたたずみ、平和なムードがあった。

当時のセントラル・ハイ・スクルール

                                     現在のセントラル・ハイ・スクルール 2007年7月14日筆者撮影

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