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1816年12月4日は、ジェイムズ.モンローが5代目の大統領として選出された日である。モンローは、米国が比較的平和で経済的にも豊かであり、政治的、社会的に安定した時代に就任した大統領であり、最後の建国の父として知られている。

モンローは、就任2年後に、スペインからフロリダを購入する交渉に成功し、1820年に再選される。1823年にモンロー.ドクトリン(モンロー主義)として知られる 大統領宣告書を発表した。モンロー.ドクトリンは、ヨーロッパ勢力による北米および南米の植民地化と侵略を防ぐことを意図したものである。当時、ラテンアメリカの大半は、スペイン帝国から独立を果たすが、その旧植民地に対する西洋諸国の介入は米国に対する敵対行為であると宣告した。

モンロー.ドクトリンを宣言するにあたり、モンローは、アメリカ大陸は将来西洋諸国の植民地支配には置かれない。ヨーロッパの君主国がこの半球に対して政治的影響を及ぼそうとする企ては我々の平和と安全性に対する威嚇である。米国は現存の西洋諸国の植民地に干渉する意思はない。モンロー.ドクトリンは新世界の宿命であり、 自国の自衛の権利を守る為であるが、西洋諸国の紛争に関与するものではない、と議会にメッセージを伝えている。

モンロー.ドクトリンは、今日の一般教書演説のような性質のものであるが、政局分裂の原因になり、諸外国からは国際的声明とはみなされず、米国は孤立する結果になったとする説もある。しかし、イギリスをライバルとして、貿易上の有利な取引があったラテンアメリカへの方針を模索する上で重要な外交政策になった。ラテンアメリカの反スペイン独立革命は、アメリカの立場を強化すると考える指導者も多かったと言われている。モンロー.ドクトリンが宣告された約20年後には、マニフェスト.デスティニイ(西部開拓の運命)と呼ぶ、全く違う概念の政治思想が台頭する。その後、帝国主義に変貌したマニフェスト.デスティニイにより、結果的に、1840年代から1990年代まで、米国はラテンアメリカに90回以上介入するようになる。これが、諸外国の米国に対する批判の要因となった。そのような未来を予期したどうかは不明であるが、ジェイムズ.モンローは、比較的に国の平和と繁栄に貢献した大統領であった。モンローは最後の数年間、惨めな窮乏生活を送り、1831年7月4日の米国独立宣言の記念日にニューヨークで死亡した。

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