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1861年2月1日は、現在のテキサス州が7番目に米国合衆国から独立した日である。綿花農園経済による奴隷経済で成り立つ南部州と、奴隷を不要とする工業経済が発展した北部州との経済的、社会的、政治的な相違により、奴隷紛争を要因として、米国を二分した歴史的悲劇は、1861年から1865年に南北戦争を勃発させた。1860年11月、大統領選に当選したエイブラハム.リンカーンは、奴隷の拡大に反対していた。リンカーンの当選後まもなく、南部奴隷州のサウス.キャロライナ、ミシシッピー、フロリダ、アラバマ、ジョージア、ルイジアナは、他の南部奴隷州の反対を押しきり合衆国からの独立を宣言する。テキサス州は、これら6州の独立運動に加わり、7番目の州として共にアメリカ連合を結成する。

独立したこれらの州は、合衆国からの脱退行為が戦争にまで発展するとは予期していなかった。結果的には、アメリカ連合軍は南北戦争に敗北するが、 南部の主要な制度であった奴隷の廃止政策 、奴隷を釈放する秘密活動、北部の堅固な経済力、奴隷制度拡大に反対したリンカーンに脅かされていたことは紛れもない歴史的事実である。逆に言えば、奴隷制度が存在しなければ起きなかった内戦である。 南部に比較して北部は約3倍の人口であること、工業化経済による軍事力も勝っていたことなど、北部の勝利は必然であった。独立した州は南北戦争の敗北後、アメリカ連合を維持することは不可能であったが、現在でも南部の多くの州で、その旗は奴隷制度の遺産として保持されている。

昨年11月、オバマ氏が再選した後、多くの州でアメリカ合衆国から独立する動きがあり、テキサスはその中でも最も顕著な州である。共和党州であるテキサスが、政治的理由で独立を表明しても不思議ではないが、テキサス州の知事リック.ペリー氏が同意していなかったことは多大な足枷となった。ホワイトハウスは、請願署名が25,000に達すれば返答すると約束。既に署名は125,746 に達したため、先週、476文字による文書での回答を送ったとのことで、一口で言えば「ノー」との返事であったと報道している。

テキサス州の独立請願に対応した、ホワイトハウスのディレクター、ジョン.カーソン氏は、「自由で開かれた論議は民主主義のために良い事である」が、1869年のテキサス対ホワイト判例で「個々の州は合衆国から離脱する権利はない」とする 最高裁判決を引用し、「建国の父たちは、より完全な合衆国を形成するため合衆国憲法を制定した。投票の力で私たちの国を変える権利、全ての世代が国の安全を確保する権利のために戦ってきたが、そこから立ち去る権利は与えていない」と記載した文書を送った。テキサス州は、歴史的に独立を試みている州であり、この返答受理後も諦めていないようである。しかし、1980年代、2000年代にも、フロリダ、ジョージア、サウス.キャロライナ、テキサス州で独立の動きがあったがいずれも成功していない。米国合衆国からの独立は、ほぼ不可能であることを歴史が教えているようだ。

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