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1942年2月19日は、当時の大統領フランクリン.ルーズベルトが西海岸の日系アメリカ人を米軍施設のある領域から隔離し監視するため、また、敵の米国在住者として考慮された日系アメリカ人を除去するため大統領令に署名した日である。

約13万の日系アメリカ人に対する立ち退き命令後の強制収容地は、アイダホ、アーカンソー、アリゾナ、カリフォルニア、コロラド、ワイオミング、ユタ州などの西部山地や砂漠地であり、各地に建てられた収容所は、インターメント.キャンプまたはリロケーション.センターと呼ばれている。収容された日系アメリカ人はほとんど西海岸に住んでいた人達で、ハワイには当時15万の日系アメリカ人が在住し、人口が多すぎたため、ハワイの日系人で収容されたのはわずか1%前後である。また、収容された日系アメリカ人の約60%は市民権を所有する米国市民であった。

強制収容の大統領令は、1941年12月7日〔日本8日〕日本軍の真珠湾攻撃後、 日本人に対する米国民の恐怖感と警戒心が広がり、悪いイメージを作り出す文化が蔓延したことが著しい一因になった。そのため、勤勉な日系アメリカ人は1945年 8 月 15日の降伏後の解放まで、粗末な自給自足の生活を強いられた。しかし、生きていく上で必要な最低限の施設や商店などは敷地内に建てられていたため、これらの施設内で働き、給与を得ることは可能であった。また、子供達はキャンプ内の学校で学ぶ機会を与えられた。インターメント.キャンプで数年間生活した日系人たちは、多くの絵画、手芸、美術品を創造した。現在、アーカンソー州にある研究所には、当時、収容所で日本人が作った多数の芸術作品が歴史の遺産として大切に保管されている。

ルーズベルトの大統領令に反対したのは他ならぬ当時のファーストレディ、エレノアであった。夫に反対の意を伝えると、二度とそのことは口にするなと、拒絶反応を示したという説もある。第二次世界大戦の恐怖と日本人に対する妄想心に犯されていた当時の米国人の中で、ルーズベルトもその例外ではなかったのかもしれない。在住地からの立ち退き命令は、日系アメリカ人が持参できる物を除いて、所有する家屋、農地、仕事など、それまでの人生で築いた大切なものを全て手放することを意味していた。限られた期間内に可能な限りこれらを売却し、準備された兵舎に移住する以外に選択肢はなかった。日系アメリカ人が味わった苦しみに、わずかでも報いる出来事は1980年の後半まで到来しなかった。第二次世界大戦中の日系アメリカ人除去の大統領令は、著しく論争的な歴史上の汚点として、またルーズベルトの最大の失策として語り継がれている。

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