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2011年 3 月11 日午後2:46分に震度9.3の大地震が日本の太平洋三陸沖を襲い、其の後、壊滅的な津波、そして、福島第一原発問題の恐怖による前代未聞の三重苦を経験した日本では、その記憶がまだ脳裏に焼き付いている方も多いはずである。 地球の裏側に住んでいる筆者もほとんど1週間は悲痛な思いで被災地を見守っていたが、ふと、自分にできることは何かと考え、米国の家族や知人に義援金の協力を求めようと決心した。8,000人以上の日本人が死亡し、40万人が家を失い、この瞬間にも十分な食べ物も水もない過酷な状況に遭遇しながらも冷静さと威厳を失わない日本人に多くの外国人ジャーナリストは感動していることをメールで20人以上の知人に訴えた。このメールの反応は確実にあって、 詳しい情報を知らせてくれたことに感謝し、送金したとの連絡を複数から受けた。あれから2年が経過した日本では、今日原発反対のデモが行われ、世界の各地で様々な催しが開かれているようだ。

当時日本には、 ジャーナリスト、国際結婚して日本に家族を持つ外国人、英語の教師、長く日本に住んでいるアメリカ人など 、 多くの外国人が日本の至る所に滞在していたようである。その中で、フェイスブックやツイッターで出会ったジャーナリストなどは、 ボランティア.グループとして、日本赤十字に寄付するため、ある1冊の本を出版した。その本は、世界の各地に住む外国人、または日本で地震を体験した日本人及び外国人など、12歳から80歳までの100人以上がその当時の災害の体験、また、地震、津波、原発の情報提供、救済活動に参加した体験、また、遠方でさほど物理的には実感はないながらも、被害者に対するお悔やみのメッセージを投稿し、これら偏見と誇張のない短い文章のエッセイ集は写真や絵画なども加えて編集されている。

2011年5月4に発売された『2:46:Aftershocks: Stories from the Japan Earthquake』(2:46: 余震:日本の大震災物語)と題する英文の書籍とキンドル版の出版目的は、 寒さと餓えに苦しんだ地震と津波の生存者を援助し、そのグループの体験を記録に残すことであった。出版の協力者はほとんど無名の人達であるが、昔東京に滞在中、地震を体験したジョン.レノンの未亡人オノヨーコ氏のメッセージも含まれている。

本は、様々な場所にいて、様々なことをしていた個人のその時の心の動きが自然に描写されている。 震源地から遠方に住んでいた人たちは、日本での地震や津波には 慣れているため、最初の瞬間は驚かなかったこと、長く日本に住んでいるが今回のような地震は初めての経験であり、本当に怖かったのは、揺れが強烈で余震が多かった事であると語った。 生きている間に、家族、隣人、友人を愛し、友好的で幸せに生きるべきだと思ったこと、大自然の脅威を初めて知ったこと、エネルギー節約のため、家の中でもコートを着て過ごしたこと、余震で家を崩壊した場合に備えて、いつでも飛び出せる服装で寝る日が続いたこと、情報不足で放射線の毒性に脅えたこと、二度と戻れないことを覚悟して仙台の自宅を離れ、避難所に向かったことなどが記されている。

更に、津波の被害者に対して、自然が人間を見放していることに言葉では表現できない怒りと悲しみに襲われたこと、超近代技術も自然災害を防げないことの現実をあまりにも残酷に感じたこと、福島原発問題は、壊滅的な「自然災害と一部人間が作った災害とが混合したものである」ことなどが綴られている。また、世界の多くの人たちが深く日本を心配していることに励まされたこと、極端なプレッシャーの中で、団結して再建に乗り出したことなど、危機に直面した日本人について、人々が語ったその声をまとめたこの1冊は、日本人の戦いは 国や自然に対しての戦いではなく、敗北、不安、絶望の精神的戦いであること、そして「これを克服できるほど我々は強いのか」と問いかけている。

圧倒的に共通した体験は、携帯電話がすぐ使用できなくなり、家族との連絡が途絶えた瞬間の不安、余震に次ぐ余震で、逃げた方がいいのか判断できないことがかなりのストレスと恐怖になったことである。また、交通が麻痺し、特に東京在住の多くの人たちが電車で帰宅できないため、暗く寒い夜を歩いて帰路につきながらも落ち着いていたこと。自宅に帰り着くことも出来ず寒い外で一夜を過ごしたこと。オフイス街は、帰宅できず会社で一夜を過ごした人たちも多かったため、いつもと違ってビル街の明かりが一際目立っていたことなども書かれている。

最も多かった苦情は、日本政府が適切な情報を提供していなかったことである。多くのジャーナリストたちは、災害情報が非常に少なかったため、フェイスブックやツイッターで情報交換したことや、災害地の人たちに天候、交通情報、 ガソリンなどに関する情報を投稿して役立ってもらった喜びも記載している。多くの寄稿者は、特に、離れている家族とのコミニイケーションに「インターネットがライフ.ラインになった」と述べている。更に、海外からのニュースは、被害者を無視したセンセーショナルで客観性に欠けた報道が多く失望したこと、海外の主要なメディアほど、誇張した暗いニュースを伝え、現場の事実との違いにかなりのギャップがあったことも指摘された。 ある外国人は、「外国のメディアは世の終わりを妄想しているが、日本人はすでに再建を語っている」と書いている。

80歳の仙台の男性は、自分たちの世代にはインターネットを利用する人は少ないため、特に停電の時は、老人には情報を得る手段があまりにも少ないのに困惑した。しかし、ラジオが最も信頼できるニュース源になったと語っている。自分たちの世代は、戦後の混沌、オイルショック、2005年の宮城大地震などで心の準備ができているとも述べた。また、小さな子供を連れた若い母親が辛抱強く列に並んでいる様子や、停電したストアーで 計算器を使って多くの買い物客の対応をしている若く印象的な店員をみながら、「この国は絶対に崩壊しないという強い確信を得た」と語っている。また、このような状況下でも家族の強い絆を感じたと述べ、「我々は強さを維持する必要がある」と伝えている。

当時ある小学校で教えていた外国人の先生は、地震が起きた瞬間「子供達が脅えないことに驚いた、良く訓練されている」と子供達を褒めている。また、 恵比寿のガーデン.パレスの30階で仕事をしていたある外国人男性は、家族と連絡がとれず、タクシーも拾えない状態だったため遠距離を歩いて帰宅したら、日本人の家主さんが笑顔で迎えてくれ、お茶とケーキを準備して待っていてくれたときの感動を語った。このような最悪の状況下で、まるで「禅のような物腰」に接したとき、このような大災害が再度発生した場合、この地球上で自分の家族や友人らと一緒にいたい場所は、この国日本であると、伝えている。また、ある日本人女性は、10日過ぎても水道水が出ないため不便であったが、家を失っていない幸運さや、隣人が井戸水や暖かい食べ物を供給してくれたことを感謝し、日頃から隣人や地域の交流を深めることの重要性を語った。

自分が放射線に被爆するのではないかとの恐怖から、広島、長崎で多くの人命が失われた歴史を思い出し、始めて日本人の原爆の悲惨さが理解できたような思いを表現した寄稿者もいる。このような危機に直面したとき、「何が真実なのか」との疑問は多くの角度から重要であると明記した人もいる。また、「日本人の奥底にあるものは、威厳、義務感、親切である」が、経験からなのか、特に年配者は悠長すぎて危機感がなく、最悪のケースを想定して機敏に行動しないことにイライラしたと語った人もいる。また、韓国からの外国人男性は、「ここ韓国では日本のことを話すことは巧妙である」と慰安婦の歴史を短く語り、普通に人生を生きていくことが困難であった彼女たちが、心の片隅で「日本の不幸に幾分満足感を抱いても責めることはできない」と述べている。しかし、その傷は別において、「日本は強くあれ」との慰めの合図を掲げていると書いている。

朝日新聞の女性ジャーナリストは、阪神大震災も取材したが、これが人生で最大の恐怖の体験であったと語った。1960年代、日本は超金持ちの国になったが、その以前の日本は、ちょうど今回の災害で経験したように夜は暗く冬は寒い日を過ごさなければならなかったと述べ、「明るい夜、暖かい冬、不足する物は何もない現在の若い世代が可哀想だと思う」と述べた。なぜなら、そういう恵まれた時代しか知らない世代は、このような壊滅的な災害に直面したとき「彼らは、どのように反応すればいいのかわからない」からだという。「でも、桜が満開するのを待って、私たちが教えてあげられる」と書いている。

オノヨーコ氏は、「最近東京を訪ねて、この街がいかに美しく、清潔で、平穏であるかを喜んでいました。私がとても愛しているこの国に、このような大災害が起きることは、まったく予期していなかったので呆然としています」と語り、昔、東京のホテルに滞在していたとき、突然地震に襲われ、「扉の開いたクローゼットの中に入り、しっかりとショーンを抱きしめてうずくまり」ながらお祈りをしたと語った。「ジョンは笑って、なぜ、私が扉の開いたクローゼットの中に座っていたのか理解できない」と言ったとき、「骨組によって守られるので、重要なことなのだ」と話したことを書いている。また、「ジョンとショーンと私が経験した地震は、みなさんが経験したようなものでは、まったくありませんでした。でも、そのときの記憶で私の身体は今震えています。日本の歴史上最も甚大な被害を及ぼした地震を経験したみなさんのことを、私は深く感じています。どんなに怖かったでしょう。みなさんのおひとり、おひとりに、私のお見舞いの気持ちと愛を伝えさせてください。どうしてこんな怖いことを、みなさんが経験なさらなければならなかったのだと苦しく思います。私の心は、いつでもみなさんとともにあるのだということを知ってください」と対訳メッセージを伝えている。

最後に、東日本大震災、津波、原発問題に直面したこれらの寄稿者は、ほぼ全員が人生で初めて最大の衝撃的な経験をしたことを語っている。その大半は外国人であるが、 多くの人たちが被害者を援助したことまたは気遣ったこと、放射線の被害を恐れて、日本から離れるべきかどうか悩み、罪悪感に襲われ葛藤したことも綴っている。彼らも、大多数の日本人が家や家族を失い苦しんでいるのを目撃したからである。日本に残る決意をした少数派の外国人は、ほとんど日本に深い愛着と理由があった人たちばかりである。一方多くの外国人は日本を去り自国に戻った。

当時は、米国のメディアが米国に及ぼす放射線汚染を懸念したため、オバマ大統領は、有害なレベルの放射線が米国領土に達することはないと伝えた。あれから2年が経過した現在、幸い米国での放射線汚染はあまり報告されていない。しかし、昨年夏以降から年末にかけて、 津波で流された瓦礫が米国の西海岸に漂流している。国立海洋大気庁は津波の残骸の回収や除去にかかる経費として500万ドルの献金を日本政府から受けたことが報告されている。回収されたゴミだけでも相当な量であり、海底に沈んだ残骸を含めると驚愕的な量であるらしい。これは新たなグローバル問題として注目されるようになった。

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