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1919年10月28日、米国議会は国家禁酒法であるボルステッド法案を通過し、アルコール飲酒の製造および販売を禁止するため米国憲法修正第18条を批准した。1920年1月から施行されたこの法律時代的な背景や理由は何か、誰がこの法を支持しまたは反対したのか、また制定後、この法に対する社会的反応はどうだったのか?

この法律が制定された時代背景には、1890代頃から1910年にかけてポーランド、ロシア、ドイツなどのヨーロッパからの移民、特にポーランド移民に飲酒文化があった。ポーランド移民は酒場で飲むことが好きで、労働者者にとって酒場はストレスを発散できる場所として人気があり、これが彼らにとって主な社会的な活動であった。しかし、低収入の労働者がその収入を酒場で消費することは生活の崩壊と家庭内暴力に繋がり、女性や子供に及ぼす影響は多大であった。また、労働者は飲酒の影響で職場に遅れて出勤することもあり、仕事の能力と生産性を低下させるだけではなく危険であった。このような社会的状況からアルコールを排除することがアメリカ社会の秩序を回復するために必要な一歩であると考えるようになり、節制(Temperance)と禁止(Prohibition)という概念が生まれた。

進歩的なアルコール禁止提唱者は、議会の憲法修正を通して制定された国家禁酒法を支持した。政治的改革者は酒場が飲酒の中心地になっているとして主張したため、1980年代には反酒場同盟が結成された。 1910年までには、アルコール飲料の製造と販売を含めて、酒場の廃止を訴える運動が台頭した。道徳と宗教的な理由により、地方の原理主義者や特に南部のプロテスタントの地域社会はアルコールの禁止を支持した。この法が支持された主な理由は(1)アルコールは健康に有害である、(2)犯罪および不法行為に繋がりやすい、(3)労働者の能力が減少し、危険性が増大する、(4)貧困の原因になり、税金も負担である。

一方、この法律に反対した人達は大幅な移民層、都会の新しい移民、および労働者である。農村地方の南部州を除く他の地域の民主党は共和党よりこの法律に反対する傾向があった。1920年代の半ばまでには、大多数のアメリカ人が国家禁酒法は個人のモラルを不当に干渉する法律であるとして不満を抱くようになり、秘密のナイトクラブなどが各地に作られた。また、マフィアによるアルコールの闇市およびアルコールの密輸を含む数々の法律違反が顕著になり、この法律に対する尊厳は著しく衰退した。また、アルコール飲酒による事故、死亡も含めて、詳細な規則が不十分であった。

1920年後半に世界恐慌に直面した当時、アルコールの販売は税収による歳入を可能にするとの肯定的な意見が支持されるようになり、この法律の撤廃が選挙の重要課題になった。1932年の大統領選挙キャンペーンで民主党はこの法律を撤廃すると公約し、選出された32代大統領フランクリン.ルーズベルト政権下で1933 年12月に不人気であったこの法が撤廃された。19世紀、20世紀の禁酒運動は世界的傾向であり、米国社会は約12年間、節制と禁止による葛藤が続いた。

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