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1963年11月22 日は、ジョン.F.ケネディが暗殺され、米国民が深い悲しみに暮れた日である。暗殺から50周年目の今月は、 早くからその事件とケネディ大統領を回想する各種の報道が目立ち、今日はケネディの墓地およびダラスなどで厳かな記念式典が挙行されている。ケネディの暗殺ほどミステリアスでセンセーショナルな事件はなく、半世紀過ぎた今日でも国民にとって忘れることのできない悲劇の一つになっている。ケネディ暗殺の陰謀説はほとんど歴史上の事実とは視点が異なるが、なぜ、今でも様々な陰謀説が語られ、なぜこれほどまでケネディは人気があるのだろうか?

この日、妻のジャクリーンと副大統領のリンドン.B.ジョンソン(L.B.J)を伴ってテキサス州ダラスの通りを低速で走行中、オープンカーの後部席に座っていたケネディは喉と頭部に2つの弾丸を射撃され、病院に搬送された数分後に死亡した。ケネディを暗殺した主犯は、その日逮捕されたリー.ハーヴェイー.オズワルドであるが、2日後別の刑務所に移送される直前、警察所の地下ホールでダラスのナイトクラブ経営者ジャック.ルビーに射殺され、不可解な死を遂げた。当時、大半のアメリカ人は、オズワルドとルビーは単独犯行であるとのウォーレン連邦委員会の結論を受け入れた。しかし、数年後多くのアメリカ人は、ウォーレン委員会はケネディ暗殺の背後に浮上した多数の陰謀説の証拠を無視したと不審を抱き始めた。その後、暗殺を調査する米国下院選定委員会が設置され、7年間陰謀説に基づく捜査を行ったが、その結果はケネディのプライバシーが明るみに出ただけである。

50年後の今日も暗殺の真実を追求する欲求は衰えていない。当時の陰謀説は映画や出版物を通して浸透しているため、現在、60〜70% のアメリカ人はオズワルドの単独犯行を信じていない。 それらの陰謀説は主に、オズワルドの背後にソ連がいる、キューバのフィデル.カストロが関与している、CIAが秘密の暗殺を行使した、当時副大統領であったL.B.Jが暗殺を指揮したなどである。複数の調査機関は全ての陰謀説に関する調査を実施したが、いずれもオズワルドとの関連性を裏付ける証拠を発見することは出来なかった。

私は、カストロがケネディ生存中、ある時点で米国の援助を求めていた事実を調査したことがあり、英文エッセイを2005年(アーカイブ:英文集)に書いたことがある。 歴史的な観点から陰謀説を簡略的に分析した場合、米国のソ連およびキューバとの関連性は納得しやすい。なぜなら、冷戦時代の大統領はケネディを含めて、全てソ連の共産党拡大を封鎖するため精魂を傾けていた。特に、ケネディ政権はNASAを設立し、人工衛星の技術開発を促進するなど、ソ連との宇宙競争に積極的であり、またキューバのミサイル危機を回避するなど、ソ連と真っ向から対抗した大統領であったからである。しかし、オズワルトはソ連の女性と結婚していたため、ソ連を数回訪問したことがあるがソ連当局との関連性は否定されている。

米国とキューバの関係については、ケネディが最も論争的な大統領であるため、カストロが暗殺の背後にいるとする陰謀説が浮上しても不思議ではない。ケネディは、著しく惨めな失敗に終った1961年4月のピッグ湾侵略をしぶしぶ認可した。また、一般の米国人には知られていなかったこのマングース作戦と呼ばれるCIAの秘密工作は、ケネディの弟ロバートが中心となって、親米派で腐敗していたバティスタ政権を1959年に打倒したキューバの革命家カストロを追放する計画であった。しかし、ケネディ暗殺にカストロが関与していたとする一般的な説では、カストロは自分自身が暗殺の危機に数回直面し、CIAの裏工作に気付いていたため、殺される前にケネディを暗殺する計画を企てたというのが陰謀説である。これは私が調査した多くの歴史家の研究からは印象が著しく異なっている。カストロはソ連に傾倒する前にケネディとの面談を希望し、米国と良好な関係を築くことを望んでいた時があった。また、ケネディはミサイル危機を回避した直後、キューバの問題を真剣に考えるようになり、CIAおよび国防総省にキューバ問題を優先すると伝えている。カストロとケネディの間には1962年後半からジャーナリストのリサ.ハァワードを介して対面する試みがあったが、二人の対面は実現することはなかった。もし、暗殺事件がなかったら、ケネディはカストロに手を差し伸べる機会があったかもしれない。

次にCIAが暗殺したとする説は、当時 CIAの活動はアメリカ人にとって透明性がほとんどなかったことも一因であると思われる。CIAの裏工作活動はケネディ政権下で規制されるようになったため、ケネディの弟ロバートはCIAを疑っていたが、CIAとの接触が親密になるに従ってその疑惑は消えたと言われている。不運な事にロバートも1968年6月5に襲撃され翌日死亡した。当時CIAは、タバコに毒を混入するなどカストロを暗殺する種々の方法を試したが全ての裏工作に失敗したとの説もある。しかし、オズワルトとCIAの結びつきは発見されていない。最後に、L.B.Jが背後にいるとする説では、LBJはケネディを嫌っていて政治的権力の野望があったため、L.B.Jには動機があるとする陰謀説は、単純な見方をすれば、敵対意識を持つ人物を副大統領に選ぶことはありえないため説得力がない。歴史的事実は、L.B.Jほど、ケネディがやり残した国内政策を精力的に成就させようと努力した大統領は他に存在しない。しかし、LBJはベトナム戦争をエスカレートさせ、資源を枯渇させたため全ての意志を継ぐことは不可能であった。

結論として、1970年頃まで続いた調査で、全ての陰謀説の確定的な証拠を発見することが不可能であった事実に照らして、オッカムの剃刀の原理どおり真実は意外に単純なものかも知れない。殺人を犯す人物は、ほとんどのケースが精神異常者であるか、または常識の範囲から軌道をはずれた残酷な資質を備えている場合が多い。様々な記録は、オズワルトは一種の変人であり、傲慢な人間であったことを示唆している。オズワルトを殺害したルビーもアル.カポネと接点があった犯罪者であり、病弱で精神不安定の人物であったと言われている。しかし、不可解な偶然が重なり過ぎたため、また、ケネディは米国の歴代の大統領の中で最も尊敬された大統領の一人であったため、単なる変人にあっけなく殺害されたと思いたくない米国民が、その苛立ちをスケープゴートに向ける心理は自然である。

何しろ、 ケネディは、英知、活力、決断力、明瞭性で卓越していたという印象を米国民は抱いていて、現在国民が描いている大統領の理想像はケネディのような人物である。ギャロップが11月15日に公表した世論調査によると、11名の大統領の中で、優れた資質を備えた大統領又は平均以上の大統領として、トップの評価を得たのはケネディ(74%)である。2位はレーガン(61%)、3位クリントン(55%)、4位アイゼンハワー(49%)5位はオバマ (28%)の順にランクされている。暗殺のため任期が削減されたにも関わらず、ショッキングな死を遂げたケネディほど、50年後の今日も米国民の心に残る偉大な大統領として、世代から世代に語られている大統領は数少ない。

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