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1955年12 月 1日は、アラバマ州モンゴメリーで黒人女性ローザ.パークスが、乗車したバスの白人用座席に座り続けていたため逮捕された日であり、モンゴメリー.バス.ボイコットから58年目を迎える。パークスは1913年2月4日にアラバマ州のタスキーギに生まれた公民権運動の女性リーダーであった。公民権運動の重要な礎を築き、生涯黒人の地位向上のため貢献した彼女は、おそらく最も多数の名誉を称えられた黒人女性活動家である。パークスが法律に挑戦し成功したその理由には幾つかの重大な要因がある。

ジム.クロウ法の一環である人種分離政策に基づくアラバマ州の法律は、モンゴメリー.バスを含めてほとんどの南部州では公共輸送機関を含む公的場所で人種分離することを強制していた。黒人はバスの後方に座り、混んでいる時、白人乗客に席を譲ることを規定していた。パークスはその法律に反し、白人の席に座り、バス運転手の忠告に従わなかったため逮捕された。公民権運動の活動家であった42歳のパークスは意図的にこの法律に挑戦したことが明らかである。

黒人女性リーダーの逮捕は黒人の憤りに火をつける結果になり、バスでの座席を分離している法律を撤廃する要求が高まり、バスのボイコット運動はパークスが逮捕された日に組織化された。ボイコットは、経済的に影響があったため非常に効果的であった。なぜなら、バスの乗客が著しく減少したため経済的損失を被るのはバス会社だけではなく、市街地のビジネスは買い物客も減少したためである。モンゴメリー.バス会社は、彼らの差別的な座席政策を放棄したため381日間続いたボイコットは遂に終った。1956年の後半、ボイコットによる抗議活動に触発された最高裁は、公共輸送機関の人種分離は不法であると宣言した。最終的にモンゴメリー市はバス.サービスで人種の統合を指揮しバス会社は運転手に黒人を採用することも公約した。

経済的要因に加えて、パークスがあえて法律に挑戦しボイコットを成功させた他の重要な背景には、1950年代は南部で公民権運動が強力に推進されていた事が挙げられる。1954年には、公立学校での人種分離に対する幾つかの判例があり、5月17日、最高裁はブラウン対教育委員会の判例で、公立学校での人種分離は米国憲法修正第十四条に違反すると判定した。これは1896年のプレッシー対ファーガソンの「分離しているが平等である」との決定を覆した画期的な判定であった。また、1954年の最高裁の判定と1950年代中頃の南部の公民権運動は密接な関係がある。なぜなら、公民権運動のリーダーはこの判定に勇気づけられていたためである。1954年の判定後も白人と黒人の座席分離が続いていた理由は、最高裁の判定に州や地区の白人有力者が強い抵抗を示していたためである。しかし、公民権運動の活動家は、最高裁の判定に従うよう南部の白人に圧力をかけていた。

当時のパークスの大胆な行動は、ブラウン対教育委員会の判定から18ヶ月後の事である。仕事から帰宅する時であり、単に疲れ過ぎて、バス後方の黒人用座席に移動したくなかったとの憶測もあるが、ボイコット計画はモンゴメリーの全米黒人地位向上協会(NAACP)が関与していて、パークスはNAACPとは密接な関係がある女性政治委員会(WPC)の長年のリーダーであったことから、社会変革を目指した計画的な行動であったと言われている。また、このような組織は、地元の浸礼派の牧師であったマーティン.ルーサー.キング.ジュニアを公民権運動の主要人物として尊敬していたため、キングはボイコットの先導的役割を果たした。黒人の抗議デモを先導したキングの原則は、直接暴力的な攻撃に直面するリスクがあった場合でも非暴力的な抵抗を維持することであったため、そのモラルの高さが多くの味方を得る結果になった。キングは1950年代の公民権運動に最も影響力があり、幅広く支持された黒人リーダーであった。キングとNAACPは南部州の多くの地域で人種分離に対抗し、公立学校、公共施設および輸送機関などあらゆる場所での人種統合に成功した。当時上院多数派の民主党リーダーであったリンドン.ジョンソンは、1957年9月、主に投票権である最初の公民権法の制定に貢献した。

1970年代、パークスは公民権運動の講演で得たお金を寄付し、1980年代は健康問題を抱えながら奨学金財団を共同設立した。1990年代には出版およびテレビ映画制作に関与し、2000年代には心身ともに衰え、2005年10月24日ミシンガン州デトロイトで死去した。 パークスは生涯、黒人の経済的および社会的地位向上のため精魂を傾けた。また、公民権運動の母と呼ばれるようになり、数多くの平和および名誉賞を受賞した。その一例は、1996年ビル.クリントン大統領が大統領自由勲章を授与し、1999年の一般教書演説に招待し彼女の名誉を称えた。次の年には、モンゴメリーのトロイ大学にローザ.パークス図書.博物館が献納された。2005年12月1日 、前大統領ジョージ.W.ブッシュはパークスの銅像を議事堂の銅像ホールに配置する法案に署名した。2012年4月、オバマ大統領はモンゴメリー.バスが展示されているヘンリー.フォード博物館を訪問した。また、2013年 2月4日をパークス生誕100周年記念日であると宣告した。

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