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フランクリンD.ルーズベルトは最悪の経済恐慌の時代であった1933年3 月4日、32代大統領として就任した。裕福な家庭に生まれ育ったが青年時代に患った病気の為、生涯、身体障害者であった。しかし、強靭な精神と寛容な性格により幅広い信頼と支持を集め12年以上大統領としての大任を果たした。就任4期目の3ヶ月後に他界するまで希有の困難と苦悩に闘った米史上最も強い大統領であった。

ルーズベルトは1882 年 1月30日にニューヨークで生まれ、鉄道会社のCEOの息子として恵まれた家庭に育った。1903年にハーバード大学を卒業後、1904年から1907年までコロンビア大学法学部で法律を学んだ。1911年にニューヨーク州の上院議員として、初めて政界入りした当時民主党議員であったため、冗談だと言われるほど裕福な家庭の仲間達は共和党に関連していた。ルーズベルトは1929年にはニューヨークの知事に就任し、穏健なリベラル政策と人格で支持を得た。1929年から始まった世界恐慌で壊滅的な経済危機の最中であった1933年に大統領に就任したルーズベルトは、不運にも39歳の時からポリオと呼ばれる急性灰白髄炎を患っていたため、生涯車椅子の大統領であった。若い時から強力なリーダーシップの器量を備えていたルーズベルトは、両足が不具でありながらも水泳で体を鍛え、12年以上も大統領としての使命を無事全うしたアメリカ史上稀な指導者であった。

ルーズベルトが就任する1ヶ月前にはアメリカの金融システムは突然崩壊し、急激に悪化した。アメリカ国民は銀行に対する信頼を失い、預金の引き出しでパニック状態に陥った。銀行は次から次に閉鎖し倒産したため、就任式の翌日には何よりも先に銀行の問題に対処した。ルーズベルトは、アメリカ人の銀行に対する確信が回復するまで銀行を休業すると宣言し、3月 9日、議会は銀行業務法案を通過した。これは全ての銀行を調査し、安全であると判断された銀行を再開させる権限を大統領に与え、緊急通過はその法律によって認可された。ルーズベルトは、1933年6月には経済回復プログラムの導入及び国の資源を再組織する必要性を強調した。そのゴールは経済救済と回復および改革であり、金融改革を含む様々な規制と救済措置および雇用拡大プログラムを促進した。これが1933年に最初のプログラムとして制定された有名なニュー.ディール国内政策である。

米国の失業率は25%に達し、経済的な大惨事に直面している最も波乱の時代であった1933年3 月4日、ルーズベルトは米国議事堂東側で就任の宣誓を行った後、就任演説を行い、この危機から米国民を脱出させることを誓った。このスピーチで 「ひとつだけ我々が恐れなくてはならない事は恐れ自体である」と述べた一節は有名である。また、預金を失いパニックに陥っていた国民に対し、人間としてのプライドを取り戻すことを強調し「幸福は単に金銭を所持していることではない。創造する努力のスリルにおいて、物事を成就することの喜びである」と国民を激励した。当時、アメリカは著しい失業問題に直面していたため「我々の最大の優先課題は人々を仕事に戻すことである」と語り、物資的なものを追うことではなく、就業により生存と家族を支える能力の重要性を力説した。また、米国の将来は失われていないことを明確にし「我々は本質的な民主主義の将来を信じている」と述べた。

ルーズベルトは1933年から1937年までは一期目を、1937年から1941年まで二期目を、1941年から1945年1月まで三期目を無事果たした。また、1944年11月には四期目も再選されるという未曾有の支持を受けたが、1945年1月に四期目の大統領として就任した3ヶ月後の4月12日に脳出血で他界した。大統領としては米史上稀に見る過酷な運命を背負ったルーズベルトは、死の直前に「未来の実現への唯一の限界は、現在への疑いであろう。私たちは強く積極的な信念をもって前進しょう」との最後の言葉を残した。

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