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1912年4月10日、イギリス南部の都市サウサンプトンを出航したタイタニックは、大西洋横断の処女航海であったが15日に沈没した。2,200人の乗客のうち、約1,500人は凍るような水中に投げ出され、救済された700人はほとんど子供と女性であった。102年前の今日、豪華客船タイタニックは、当時世界最大の大きさを誇っていた。また、沈まない設計で建築されたはずのタイタニックは14日氷山に追突した後、15日に沈没した。タイタニックの沈没事件には知られていない事実が多い。

タイタニックにはプールや運動施設の他にほぼ全ての設備が整っていた。しかし、ファースト.クラスの乗客には専用の浴槽があり、一方、三流クラスの700人以上の乗客は、わずか2つの浴槽を共有する必要があった。アトランティック.ディリー.ニュース速報(Atlantic Daily Bulletin)という名の新聞は毎日船内で印刷されていた。更に、タイタニックはロイヤル.メイル.シップ(Royal Mail Ship)と呼ばれる船であった為、郵便局があり、複数の郵便係員が配備し、700万以上の個人の手紙が搭載されていた。手紙はほとんど発見されなかったという説もある。

4月14日にタイタニックが氷山に追突する前に、遭難信号が発せられてから衝突までわずか37秒間であった。この日は皮肉にも救命ボートの訓練日になっていた。映画でも描写されている通り、救命ボートは、数およびサイズの面で乗客の容量と不相応に不足していた。例えば、約60人以上用であるはずの救命ボートは25人以下用であったり、40名用であるはずのボートは12名用であったりと、準備は不適切であった。従って、犬を救う余裕はなかったはずであるが、9匹中2匹の犬がボートに乗っていたという。タイタニックは沈没しない設計になっていた事が、救命ボート不足の主な要因である。

当時、2つの船が航海中であった。タイタニックに最も近い距離にいたのは、約6マイル(9.6Km)離れたカリフォルニアンCalifornian)であり、それより遠くにいた船はカーペシアCarpethia)と呼ばれる船である。遭難信号が発せられた深夜12:34分にはCalifornianの乗務員は眠っていて対応しなかったという。その船の音信係員は就眠中であり、遭難信号を聞かなかったためである。しかし、Carpethiaは手遅れになる前に生存者全員を救済した。

1997年12月に封切りしたレオナルド.ディカプリオとケイト.ウインスレットが主演した映画タイタニックを約10年前に観た時、資産を持つ者とそうでない者の対照を見事に描写していると感じた。救済された人達は女性が圧倒的に多かったものの、ファースト.クラスの女性の死者はわずか4人であった事実に比較して、3級クラスの女性は91人が死亡したとの記録がある。

1912年4月19日の記録によると、Carpethiaの乗組員が最初に救命ボート上の生存者を発見したのは午前4:10分で、午前8:30分までに全ての救命ボート上の生存者は救出された。その後、多くの生存者は、Californianがタイタニックからの遭難信号に気付いていたら、もっと多くの人命を救うことが可能であったと思ったという。15日、沈まないはずのタイタニックが沈没した数時間後の午前2:40分の「天気は晴天であり、周りは暗かったが空気は軽く、海は穏やかであり、美しい透明な夜であった」との何故か物悲しい記録が残っている。

 

 

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