アメリカの最新課題 Contemporary American Issues © 2016 Yuko’s Blog. All Rights Reserved.  

1961年5月11日はジョンF.ケネディが南ベトナムに陸軍特殊部隊の派遣を指揮した日である。米国は、ソビエトとの冷戦時代に東南アジア地域で共産主義が拡大することを防ぐため、そのあらゆる資源を注入した。ケネディは、米国がベトナム戦争に深く関与し始めた1959年から考慮した場合、二人目の大統領である。

ケネディはインドシナ半島で数年間闘争が続き、西洋の勢力、共産党勢力、中立派勢力の3つの方向から内戦に巻き込まれていたラオスに注目していた。これはドワイト.D.アイゼンハワー政権から引き継いだ外交政策であり、ケネディもアイゼンハワーのドミノ論理を共有し、ベトナムが共産圏の手に陥落した場合、自由世界である東南アジア諸国のビルマ、タイ、インド、日本、フィリピンも倒れ、ラオスおよびカンボジアは安全保障が脅かされていると主張した。また、ケネディは、米国の軍事力、技術力を強く信じ、フランスが失敗した南ベトナムでアメリカは成功するとの強い決意があった。

南ベトナムにはアイゼンハワー政権からの軍事アドバイザーが駐在していたが、1960年までにはソビエトおよび中国からの支援を受けたベトコンと呼ばれる反乱軍の勢力が増大していた。ケネディは、南ベトナムの初代大統領であったゴ.ディン.ジエム大統領(1955年10月ー 1963年11月)の軍隊を援助し、ベトコンに対抗するため1961年5月11日、特別な戦闘訓練を受けた米国の陸軍特殊部隊400人のグループを派遣すると発表した。その後、副大統領のリンドン.ジョンソンは、友好関係に調印するため南ベトナムを訪問し、南ベトナム政府軍への援助を続けた為、1964年以降、米軍派遣をエスカレートさせる礎になった。

ケネディは短い就任期間、ソビエトとの冷戦による緊張が高まっていた危機の時代にアイゼンハワーの冷戦イデオロギーを受け継ぎ、東南アジアで共産党の拡大を封じ込めることは最大の責務であると考えていた。従って、南ベトナムの反政府軍であるベトコンおよびソビエトと中国が後ろ盾になっている北ベトナムの共産党軍との二つの敵勢力と戦うため、経済的、軍事的、技術的側面から南ベトナム政府の軍隊を援助した。しかし、ベトナム市民は、米軍が南ベトナムに駐留していたことを快く思っていなかったが、ケネディはその事に気付かなかったことが失敗であるとの説もある。その観点から言えば、ケネディ前後の大統領は全員同じ失敗を繰り返したことになる。

更に、米国がベトナム戦争に本格的に関与し始めた1959年から1975年までのアイゼンハワー政権からニクソン政権まで、複数の大統領は米史上最悪の内戦に関与し、莫大な人材と資源を枯渇させた責任が有る。ケネディはベトナム戦争において、アイゼンハワーのドミノ論理を共有したが、このドミノ論理は、冷戦時代に米国が他国への干渉を正当化する表現として繰り返し利用された建前論である。

 

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。