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ちょうど60年前の1954年5月17日、カンザス州トピカのブラウン対教育委員会の裁判で最高裁は、人種分離は憲法違反であると満場一致で決定した。これは、「分離しているが平等である」と判定した1896年のプレッシー対ファーガソン裁判の決定を完全に却下する画期的な判定となり、公民権運動の歴史的な勝利を飾った日である。しかし、60年後の今日、特に教育現場で新たな形態の人種分離が台頭している。

1896年のプレッシー対ファーガソン裁判では、全ての市民に同等の保護を保証する米国憲法修正第十四条に基づき、ルイジアナ州が公共施設および電車やバスなどで人種分離を許可することは憲法違反であると原告側は主張したが、最高裁のファーガソン判事は、黒人が公的施設で分離していることは憲法違反ではないと判定した。従って、白人と黒人の人種分離は、特に南部州で公然と行われた。1954年のブラウン対教育委員会の裁判では、リンダ.ブラウンを含む20名の黒人学生を代表したトピカ13人の両親の原告側は、学校での分離は不公平であると主張した。ドワイト.アイゼンハワー大統領に任命されたリベラルな最高裁長官のアール.ウォーレンは、人種分離が慢性化していることを懸念し「教育現場の分離は本質的に不平等である」と決定した。従って、連邦政府は憲法違反であった多数の州に対して、最高裁の判定に従い公的場所での人種分離を停止するよう要請した。

しかし、その最初のステップを踏まえた幾つかの州を除いて、黒人が多い複数の南部州で裁判所の命令に抵抗し、最高裁の判定を妨害する措置が講じられた。それは、学校での人種分離を維持するための法律を制定することであった。アーカンソー州の知事オーバル.ファーバスはリトル.ロック高校での人種統合を妨害するため州兵を派遣した。アイゼンハワー大統領は、白人高校に初の黒人学生9人が入学した 1957年 9月25日、黒人学生を保護するため連邦兵を派遣した。

1950年代および60年代の公民権運動は結果的に公式な場所での人種統合を可能にしたが、60年後の現在、人種的および経済的な再分離傾向が顕著になっている。1954年の最高裁の判決以前に蔓延した公共施設および公共交通機関での人種分離は消滅したが、実際には新たな形態による人種分離は引き続き深刻な社会問題になっている。学校では特にその傾向が目立つ。その要因は、貧困の子供達は貧困地域の学校に通い、裕福な家庭は私立校やカトリック系列の学校を選ぶからである。全米で最も多様民族文化が豊かな州のニューヨークやカリフォルニアでは、黒人およびヒスパニック系の学生が多い公立学校で白人学生の割合はわずか10%であり、全米で最も人種的孤立が目立っていることが最近判明している。

裕福な家庭が多い地域の学校では、私立学校の設立も含め、民間企業および富裕資産家の融資があるが、貧困地域には低所得層が多く、教育への投資は乏しい傾向がある。従って、低所得家庭に多い黒人またはヒスパニック系の学生は、優れた教育設備および教師を提供する余裕のない貧しい公立学校に集中する結果になっている。1980年以降、学校の自由選択が強調されるようになったことが長期的な一因であると思われる。黒人学生の人種、社会、及び経済的孤立が益々顕著になっている現在、60 年前の画期的な最高裁の判定は、空しい歴史の記録としてエコーしている。

 

 

 

 

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