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1966年10月15日は、米国運輸省(USDOT)が制定された日である。議会が承認し、当時36 代大統領であったリンドンB.ジョンソンがこの日署名した。当時連邦航空局の行政長官であったナジーブ.ハラビの提案によって航空局が運輸省に統括された。その後、運輸省は11の行政部門で構成される巨大な組織になったが、一部は9.11後、新たに創設された国土安全保障省に吸収された。運輸省設立の目的は、当時煩雑化してきた国の輸送及び交通システムを連邦政府が安全で効率的に運営する為である。人類史始まって以来、文明進歩のバロメーターである交通と運輸の手段は常に葛藤の連続であるが、USDOTの創設は歴史的に幾つかの側面で画期的である。

米国は、交通網が複雑化してきた州間道路輸送と連邦政府との関わりを調整することも含めて、輸送インフラ政策を開発する規定について葛藤があった。それが創設の発端であるが、1964年に運輸省を設立する最初の法案が紹介された時は通過しなかった。 ジョンソンは1964年1月 8日の一般教書演説で貧困との戦いを宣言した為、経済機会法(EOA)によるプログラムは加速した。また1965年には奨学金の認可を含む教育プログラム、ジョンソン政権以前に20年以上も制定されることがなかった65歳以上からの医療保険プログラムであるメディケアの制定、及び米国住宅都市開発省(HUD)の創設が認可された為、議会の融資は膨らんでいた。ハラビの提案を受けたジョンソンは1966年1月運輸省の設立を議会に提案したが、このような様々な法案による資金を含めて、ベトナム戦争の出費も膨らんでいた為、議会は拒否した。

米国は1800年代初期から運輸と交通システムの問題に直面している為、歴史的な葛藤を繰り返してきた。その当時の道路は障害物が多く荒々しく、河川では急流や滝がある場所で通行不可能であり、水上での交通にも問題が山積していた。農家や商人が農作物や商品を市場に移動する方法に困窮し、ひどい交通手段に悩まされていた時代に運河を開発する提案は、1801年から 1809年まで第三代大統領であったトーマス.ジェファーソン政権下で財務長官を務めたアルバート.ギャラティンの提案によって考慮されるようになった。1869年には米国の西部と東部を結ぶ大陸横断鉄道の建設が完了した為、米国で最初に運輸インフラ政策の法案が提案されたのは、1966年10月に運輸省創設の法案が制定される90年以上前の1870年代初期である。経済と貿易の発展のために連邦政府が国道などの内部的な改良を助成し、迅速で簡単に利用できる交通を整備する為、運輸省を創立することが提案されていたが、約90年間制定に至らなかった歴史の背景を考慮すると画期的である。

1965年10月までに運輸省の設立には連邦航空局、道路局、沿岸警備隊、セント.ローレンス水路開発公社、五大湖航空機操縦協会、州通商委員会の車輛サービス部門、民間航空委員会の補助金機能、パナマ運河を含めることが提案された。修正も含めてこの提案に同意したジョンソンは1966年3月議会に法案を送った。米国交通システムの改善の必要性を認識していたジョンソンは、法案の制定を推奨するため慎重で熱意のあるメッセージを議会に送り、アメリカは最良の特性を利用し、旅行者が簡便で効率的に移動するため、および雇用、国民の生活、国家経済の健全性と安定性の為、包括的な運輸省が必要である事を主張した。議会では多大な論議と妥協があった後、様々な修正が行われ、10月15日ジョンソンは最終法案に署名した。

1967年4月1日に施行されたこの運輸省法に基づき、新たな行政は30以上の機関を構成する連邦政府で4番目に大きな組織になった。主に連邦航空局、湾岸警備隊、道路局などで95,000人の従業員が雇用された。その後運輸省は長官の下に、連邦航空局、連邦道路管理、連邦自動車運送安全局、連邦鉄道局、国家道路交通安全局、連邦交通局、海事局、セント.ローレンス水路開発公社、研究·革新技術管理、パイプライン及び危険物保安管理、水上交通委員会の11の個別機関で構成された。2001年9月11日の同時多発テロ後、2002年に国土安全保障省が設立された為、2003年3月1日から米国沿岸警備隊と運輸保安局は国土安全保障省下で統合された。

 

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