アメリカの最新課題 Contemporary American Issues © 2020 Yuko’s Blog. All Rights Reserved.  

南部戦略とは何か?

来週月曜日から新議会が始まる。下院で多数派二番目のリーダーに選出されたルイジアナ出身のスティーブ.スカリースは2002年にディビッド. デュークが率いる白人至上主義グループが主催する会合で、投票を得るためその組織を支持する発言をしたことが12月30日に暴露された。その後、論争的になっている彼の処分問題に関し、下院議長のジョン.ベイナーは彼を降格させる意図はなく、共和党内でもそのような動きはない。スカリースのような政治家の存在は特に稀ではない。米国には歴史的に人種差別の政治的慣行があるからである。その近代史の一つは1969年1月から1974年8月まで37代大統領であったリチャード.ニクソンの「南部戦略」である。

南部戦略は 1968年にニクソンが大統領選のキャンペーンで採用した人種差別計画の暗号である。バージニア、ノース.キャロライナ、サウス.キャロライナ、テネシーを含む多数の南部州で人種差別者にアピールする為、黒人に対する人種差別を主張し、南部の隠語を使い、政治的支持を得ることに成功した共和党の戦略である。この南部戦略は、人種差別者を共和党陣営に移動させ、黒人に対する差別を悪であると主張する共和党を民主党陣営に移動させた。つまり、共和党を分離させ、選挙基盤に変化をもたらす要因になった。

しかし、南部戦略が台頭するちょうど20年前の1948年、南部にはディキシークラットと呼ばれる人種分離主義および白人至上主義が台頭した。彼らは、人種統合を拒否し、ジム.クロウ法を維持することで白人の権利を保持することに固執した。ディキシークラットは民主党の分派として台頭したが、徐々に右翼に傾斜していった。1960年代に台頭した保守派運動は、公民権運動のリーダーであったマーチン.ルーサー.キングの革新的な思想を抑圧し、公民権運動を支持したジョンF.ケネディの意志を継いで、1964年に公民権法に署名したリンドン.ジョンソンの権力を弱体化させることが目的であった。また、黒人に対する人種差別は、民主党の政治家にも存在した。特にアラバマ州で1963年から1967年まで知事であったジョージ.ウォレスは、同州の人種分離政策を強固に支持していた為、黒人の公民権運動、アラバマ大学に黒人が入学する事を阻止する運動の指揮を取ったことで悪名高い人種差別者であった。

ジョンソンの公民権法は、特に人種統合を拒否した南部の白人を孤立させ、南部の白人に共和党を支持する傾向が生まれた。1968年 11 月 5日の大統領選で、ニクソンは民主党対抗者ヒューバート·ハンフリーの人気投票率42.7% に対してわずかながらも43.4%の差で勝利した。無党派から立候補していたウォレスはわずか13.5%の支持率で落選した。ニクソンの当選は、キングが暗殺された後の人種暴動および反戦運動がピークに達している頃であり、ベトナム戦争をエスカレートさせた民主党大統領のジョンソンに対する国民の怒りが直接的な要因である。歴史的には、ニクソンが人種差別をアピールする南部戦略を密かに利用したことより、黒人に対する人種差別をあからさまに表現したウォレスの方が広範に知られている。しかし、リベラルな公民権を望まない南部州の白人が圧倒的に共和党を支持している要因は、このような歴史的な政治背景がルーツである。

南部政策は、黒人に対する差別を政治的に正当化する要因になった為、ニクソンのレガシーとして、後の大統領に影響を与えた。1981年1月から1989年まで40代大統領であったロナルド.レーガンは選挙キャンペーンで1980年にミシシッピーを訪問し、その州の人種分離を擁護する発言をしたが、レーガンの持ち味として人種差別的な印象を与えなかった事で知られている。2008年の大統領選挙で、対抗者であったアリゾナ出身の白人共和党ジョン.マケインの投票数約6,000万票を遥かに超過し、約7,000万票を獲得したバラク.オバマは初の黒人大統領に選出された。その瞬間、米国の人種分裂は終わり、新たな歴史の一歩を踏み出したとの印象を与えた。6年後の今日、白人至上主義組織と関わりがあったスカリースを辞職させることを要求、または少なくとも、リーダーシップの資格を排除する事を要請している一部の議員に反して、下院議会の多数の共和党は、バージニア出身の主流派リーダーであったエリック.カンターが予備選で敗北した反動として、最もディープ.サウスであると言われる南部ルイジアナ出身で強固な保守派をリーダーとして選んだ。これは表面的に姿を変えた南部戦略であり、引き続き歴史は繰り返すことを示唆している。

 

 

%d人のブロガーが「いいね」をつけました。