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2015年1月18日:アラバマ州セルマでの50周年記念行進

歴史映画『セルマ』は、1965年3月にアラバマ州のセルマで黒人の投票権を求めて行進を開始した公民権運動時代の一幕を描いている。昨日、セルマでは有名な黒人女優のオプラ.ウィンフリーを含む映画の主演者、複数の黒人議員らが公民権運動の指導者であった マーチン.ルーサー.キング.ジュニア(MLK)の名誉を称える行進に参加した。セルマでの一連の事件は、現在起きている黒人差別および様々な投票権の抑圧の歴史を回想させる。50年前、世界的に注目を浴びたセルマで何が起きたのか?

『セルマ』はエイバ·デューバネイが監督し、ポール·ウェッブとの共作による公民権運動を主題にした2014年の米国歴史映画である。1965年、MLKの指揮下で黒人の投票権を求めて、セルマからモンゴメリーに行進した背景に基づく映画である。セルマは2014年11月11日に米国映画協会祭で初演され、12月25日に制限された米国の映画館で公開された後、2015年1月9日、歴史的な行進から50周年記念の2ヶ月前に全米で公開された。映画は必ずしも歴史上の事実を反映していないとの批判もあるが、最優秀映画を含む4つのゴールデン.グローブ賞に推薦され、第87回アカデミーで最優秀作品賞と最優秀オリジナル.ソングに指名された。

1965年:エドモンド·ペタス橋

1960年代は黒人の公民権運動が台頭し、全米の各地で警察の攻撃、黒人に対する誘拐、リンチ、殺人、教会を含む黒人に属する建物の放火や破壊など、劇的な暴力行為が続いた。黒人は公民権運動の一貫として、多数の白人学生の援助を受け、投票権を確保するため投票登録運動を展開していた。これは1964 年6月から始まったフリードム.サマーとして知られているが、アラバマ州のセルマは地元の黒人グループが1963年から投票権運動を開始した。しかし、人種分離を終える為1964年7月2日に公民権法が制定された後も、黒人の投票権に対する南部白人の抵抗、及び組織化した黒人に対する差別と投票の妨害は続いた。セルマでは1965年1月に地元および地域で抗議活動を開始したが、約2ヶ月間で数千人が逮捕された。

MLKを含む黒人活動家らは、1965年3月7日から25日までの期間中、投票権運動の一部として行進を実行した。彼らは、憲法で定めた投票の権利を訴え、非武装および無抵抗の平和的抗議を開始し、この期間中、セルマからアラバマ州首都のモンゴメリーまで50マイル(80Km)以上を行進した。しかし、初日3月7日のセルマでの行進中、エドモンド·ペタス橋で郡の騎兵隊や警察による棍棒および催涙ガスの攻撃を受けた。この事件は「血なまぐさい日曜日」として呼ばれ、破損した橋の写真は放映および出版により世界的に紹介された。2回目の行進は3月9日に実行された。行進の途中で警察と行進参加者との間で小競り合いがあったが、その日は行進を完了した。MLKは行進を保護するため、連邦裁判所の保護を求めることを考慮していたが11日の夜、公民権運動家でセルマの行進に参加していたボストンの牧師、当時38歳のジェームス·リーブは白人グループに殺害された。

2013年3月のエドモンド·ペタス橋:ジョー.バイデン記念行事に参加

そのような状況下で黒人の投票権を考慮していたジョンソンは3月、投票に参加する黒人を連邦政府が保護する為、議会が投票権法案を紹介し、法案を通過するよう要請した。 しかし、当時アラバマ州知事ジョージ.ウォレスは行進を保護することを拒否した。最後の行進が行われた3月24、ジョンソンは、米国陸軍兵士、FBI捜査官、連邦政府の指揮下で州兵を含む4,000人以上を派遣し行進を保護した為、投票権を支持した活動家らは25日にモンゴメリーの首都に到着した。ジョンソンの強力な理解と支持によって1964年7月に公民権法は制定されている。それから13ヶ月後、議会は1965年8月5日に投票権法を通過し、ジョンソンは6日署名した。

この投票権法は、黒人の投票を妨害するため南部で定めた投票税、特殊な知識試験など官僚的な制限を禁止した。黒人に対する政治的弾圧は、アラバマ州での投票権を阻止した白人至上主義グループの悪名高きK.K.Kも関与したことは言うまでもない。現在、有権者ID法を含めて、特に黒人の多い南部地域で採用している 独特な投票法は、少数派の投票を困難にしていて、引き続き黒人に対する投票権拒否のルーツがあることを示唆している。

 

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