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カメラの前でナイフを持ち、人質を処刑する黒装束の男性の身元が確認された事が今日判明した。彼は、ニックネームでジハディ.ジョン(Jihadi John)と呼ばれている。ロンドンの中流家庭で、おとなしいインテリとして育ったこの人物は、驚くべき犯罪者扱いを受け、人生を阻害された結果、最終的にISISにたどり着いた。平穏な人生とはほど遠い屈辱の体験を通して、彼は最も極悪なテロリストの仲間入りをした。そのような結末を選択したことが、全て彼自身の責任なのかを考えさせられる数々の証言が公表された。

複数の人質を斬首することを脅しているか、又はその様子を放映したビデオを通して知られるようになった英国なまりのある人物の身元が確定した。26日のワシントン.ポスト(WP)によると、 彼の本名はモハメド.イムワジである。西ロンドンで育ち、コンピュータ.プログラミングの学位を取得し、大学を卒業した比較的「裕福な家庭」出身のクェート人である。2012年、彼はシリアに旅行し、その「野蛮性を象徴しているグループに参加」したと見られている。イムワジの声を確認した人物は、親しい友人で「彼は自分にとつて兄弟のようであった」とWPに語ったという。ジハディ.ジョンがイムワジであることを確認した別の人物は、彼がシリアに行く前に一度接触があった英国の人権団体の代表者である。人権グループCAGEのリサーチ.ディレクターであるアシム·カーズヒはビデオの一つを見せられ、確認を求められた時「非常に強い類似性があった」と答え、「これが同一人物であることをかなり確信させられます」と述べたという。

FBIは音声の分析および元人質のインタビューを含めて様々な捜査技術を利用しているが、当局のディレクターであるジェイムス.コミは昨年9月、英国なまりのある男性がアメリカ人ジャーナリストのジェームズ.フォーリーを殺害しているビデオを見たわずか一ヶ月後に、当局の捜査官は犯人の確定に成功したと思ったと語った。米英両国はシリアでISILに誘拐され殺害された事件の調査を引き続き実施しているが、米国はこの報告のコメントを拒否し、イムワジの家族もインタビューの要請を拒絶したという。匿名を条件に語った複数の友人の証言によると 、ジハディ.ジョンは(1)モハメド.イムワジという名前のクウェート生まれ、西ロンドン育ちの20代の半ばの男性である。(2)彼は丁寧でイスラム信仰の教義に忠実であった。(3)彼は髭を伸ばし、スタイリッシュな服を着る傾向があり、女性とはアイ.コンタクトを意識していた。(4)ウエストミンスター大学卒業後、タンザニアのサファリ旅行を計画していたが、その計画が阻止された後に過激化し始めた。

イムワジはイスラム教に改心したドイツ人および別の男性の二人と一緒に旅行をしたが、タンザニアへの計画を果たすことはできなかった。2009年5月、ダルエスサラームに到着した後、当地で警察に一晩拘留された。拘束された理由は不明であるが、彼らは最終的に強制送還された。イムワジはアムステルダムに飛んだが、彼はそこで英国の国内セキュリティ機関MI5の役員に、過激派アル·シャバブ(ソマリアに拠点があるアルカイダ関連のイスラム過激派グループ)が運営している南部ソマリアに到着しようとしているとの非難を受けた。これは WPに情報を提供したクレシという名前の友人に電子メールで通知していた。イムワジはそのような疑惑を否定し、MI5の代表者が彼を募集しようとしたと主張した。しかし、元人質は「ジハディ.ジョンはソマリアに夢中」であり、アルカイダと同盟しているアル·シャバブが彼の捕虜を斬首するビデオを作成させたと主張した。英国紙はこのようなエピソードを報道し、イムワジをモハメド. イムワジであると確定した。英国への帰国を許可された3人は、2009年秋クレシと会い、何があったかを語り合った。イムワジはその体験で非常に不公平な待遇を受けたことをクレシに伝えた。その後すぐ、彼は生誕地であるクェートに戻りコンピュー会社で働く決意をした。クェート滞在中、2回ロンドンに戻った。2回目の帰国はクェートの女性と結婚する結婚式の最終決定のためであった。

しかし2010年6月、イギリスの反テロ当局はイムワジを再度拘留した。この時彼は指紋を取られ、所有物も捜索された。更に、翌日クェートに戻る飛行予定は阻止された。彼は「私には仕事と結婚が待っていた」と2010年6月クレシ宛への電子メールに書いた。その時の感情を「ロンドンで檻の中にいないだけで、囚人扱いされているように感じる。出生国であるクウェートで新しい人生を生きることを阻止しているセキュリティ.サービスの男性によって制御されている」と表明した。クレシが最後にイムワジに会ったのは2012年1月である。彼を犯罪者扱いした一連の捜査当局の行動に対して、彼には何もなす術はなかった。また、ロンドンを去ることは、彼の必死の決意だったとクレシは語った。イムワジの別の友人は、2012年にサウジアラビアで英語を教えるため旅行する計画もあったが成功しなかった。彼は憤慨していて、現状を脱するため、何処かで別の人生を生きることにもがいている段階に達していたと語った。

彼がどのような経路でISISに到達したのか不明であるが、元人質の証言によると、ジハディ.ジョンは2013年、シリアのイドリブにある刑務所で西洋人捕虜を護衛していたチームの一員であった。イムワジは英国なまりのある他2 人の男性と一緒に人質になっていた4人の西洋人を水責めにする拷問に参加していたという。元人質はジハディ.ジョンはおとなしいインテリで「最も慎重だった」と語った。2014年、その4人の捕虜は、事実上ISISの本拠であるシリア市のラッカに移送され、その時の3人の護衛は人質を頻繁に訪問した。イムワジを含む3人の護衛はイスラム国の領土で更に強力な任務を得たように見えたという。この時期、クレシはイムワジに(電話)番号を教えてくれるよう電子メールを送信したが返事はなかったという。

昨日、ISISに参加するためシリアへの旅行を計画していた ニューヨーク市ブルックリン在住の3人の男性が逮捕された。驚くことに、世界の多くの市民または在住者がシリアに旅行したことが報告されている。イムワジは、英国当局に追いつめられ、新たな人生を模索し始めた時、彼を知る友人の前から姿を消した。その友人達が語った証言が真実であるなら、ISISに参加する一部の人物の背後には多かれ少なかれ、イムワジが体験した事と同様の理由があるかもしれない。イスラム教徒に対する偏見と特定の人種に対する人権違反、または何からの隠れた理由による憤りと抵抗が一因であることを示唆しているように思われる。

 

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