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ジム.クロウ法はアメリカ南部の多くの地域で白人と黒人の人種分離を合法化するため、1880年代に制定された法律である。この法の主要目的は黒人の政治参加を阻止すること、即ち、投票権を与えないことであった。アメリカ南部の多くの州が第十四条の法の網を潜り抜ける手段を生み出した。そのひとつは、人頭税といい、収入に応じた税金ではなく、貧困者も富裕層と同じ税額を課すことで、この税金の支払いが不可能な者の投票を禁じた。次に考えだした策は、読み書きの能力試験である。これは、投票者は憲法を読んで解釈できる能力がなくてはならないと規定し、黒人の投票者には、白人より特に難しい箇所を与えて合格出来ないよう企て、投票権を与えないようにした。このようなジム.クロウ法を利用し、元奴隷の黒人を政治的、社会的、経済的に抑圧するシステムが横行していた。

南部地域では、白人と黒人の人種分離を徹底して慣行するばかりでなく、1890年頃から白人の暴力が目立つようになっている。特に、人権の平等を主張する黒人に対するリンチ事件は毎年約190件にのぼっている。このようなリンチは、犯罪を犯した黒人への体罰であるとか、黒人の人口増加を調整するための脅しであるという理由でジム.クロウ法を正当化したものだった。

1950年及び60年代は公民権運動がピークに達する時期であるが、それ以前の1870年及び80年代にも公民権運動は存在した。その当時の最高裁は、合衆国憲法修正第十四条は政府による人種差別を禁じるが、個人又は 組織による人種差別については規定していないと宣言した。 従って、公の場であっても、ホテルや劇場など個人で経営する施設では人種分離は合法的に認められていた。また、この第十四条のすべての人種の権利を絶対に認めたくない白人達が存在していたことは紛れもない事実である。人種分離は憲法に反するとの1954年の最高裁の判決まで、多くの公的場所で黒人は白人と強制的又は自主的に分離していた。

1896年のプレッシィ対ファーガソンの判例では、黒人は白人と公の場で「分離されてはいるが平等である」という非常に矛盾した理解しがたい判決がなされた。ホーマ.プレッシィは乗り合わせた電車で黒人用に指定された座席には座らず、白人用に指定された席に座り、乗務員の勧告にも関わらずその席を離れなかった為逮捕された。しかし、白人と黒人を電車やバスで座席の区分けをしても、設備そのものには何ら違いはなかった。しかし、プレッシィは、法はすべての人を同等に保護しているのであり、区分そのものが、第十四条アメリカ合衆国憲法改正に違反すると主張した。しかし、最高裁は、公の設備における人種分離は合法的とするルイジアナ州法を支持した。その時の判事ヘネリー.ブラウンは、公民及び政治的権利が両方の人種に同等であるなら、何人も公民及び政治的権利において他者より劣るとは言えない。ある人種が他の人種より社会的に劣るというのであれば、アメリカ合衆国の憲法は、その劣る人種を同じ飛行機に乗せることはできない。つまり最高裁は、合法的人種分離はある人種が他の人種より劣ることを意味するものではないとの判決を下したのである。この時の判事らは、第十四条は政治的同等性を保証しているだけであり、州は人種分離を実施することが可能であると判定した。

これ以後、1954年のブラウン対トペカ教育委員会の判決まで、同じような裁判は時と所を変え繰り返し起きていた。この裁判の直前、教育現場での人種分離が子供達に及ぼす精神的な影響を研究したある教育者のグループの訴えにより、最高裁の判事たちは「分離されてはいるが平等ある」の意味を再検討するようになる。疑問は人種分離そのものが違憲ではないかということだった。これにより遂に、1954年のブラウン対トペカ教育委員会の判決で、当時のウォーレン判事は「人種分離は憲法に違反すると」明白に宣言した。これは後年の公民権運動に大きな礎となった。

1880年代は、黒人のみならず他の少数民族にとっても厳しい時代であった。アジア人の中でも特に、中国系アメリカ人又は中国系移民は様々な迫害を受けている。特に、カリフォルニアでの白人の中国人嫌いは相当なもので、白人が中国移民を襲うなどの暴力を伴う反中国人活動はエスカレートしていった。この背景には、アヘンや売春などの中国人犯罪組織が台頭していたことや、鉄道架設作業で白人労働者と増えていく中国人労働者の猛烈な経済競争があった。そこでアメリカ政府は1882年に中国人排斥法を定め、商人や教師など、特定のグループ以外の移民にはアメリカ入国の許可を与えなかった。そのため、一般の中国人はアメリカに移民することはできず、すでにアメリカに住む中国人が帰化することも禁止した。その後、議会はこの法を延長し、1900年代初めには中国人除外法を永久的なものに制定した。この法のため約40年間、アメリカに在住する中国人の人口は大幅に減少したという記録がある。

この法が通過した1882年のアメリカに在住する中国人は、約125,000人だったが、1920年代までに激減した。女性の数が男性の数に比較して圧倒的に少なかったことや男女間の平均年齢格差が大きかったことなどもその理由である。アメリカ社会は、特に当時は移民に融合性と文化的適応性を望む傾向があったが、殆どの中国人の地域は大幅に独身社会と呼ばれ、文化的適応性を推進するより、第二次世界大戦頃までのアメリカのチャイナ.タウンは独自の文化を築き上げる。そして、主なチャイナ.タウンの機関はアメリカの都合を優遇するより、むしろ中国文化を重んじることを徹底させていた。例えば、中国の宗教は社会的なものではなく、むしろ家族特有のもので、宗教はクリスチャンになった小数派を除いて地域に広く融合していなかった。

ほとんどの中国移民は共同家族、又は共通の祖先を持つと想定した家族名が同じ一族との営みを重視していた。従来、村指向で真の血族関係の性質を持つ一族システムが海外の移住先で採用されていた。中国人がダイフォウ又は大都会と呼ぶサンフランシスコでは、その一族がチャイナ .タウンで支配していたといわれる。従って、ピッツバーグではイーと呼ばれる一族がチャイナ.タウンを支配し、シカゴではモイズ、デンバーではチンが支配していたといわれている。中国移民の一族構成は更に複雑で、ビジネス組織が肥大化してくるうちに、少なくとも14世紀の頃、中国で台頭したタングと呼ばれる政治的反勢力及び犯罪秘密結社が中国系アメリカの社会を支配するようになったと言われている。中国人排斥法は、低い賃金で仕事を請合うアジア系の移民全員に様々な制限を課す結果になった。その後、白人労働者の中には、アジア人は物理的及び文化的違いによりアメリカ社会に融合できないと主張する者も出てくるようになった。

以上のような人種差別法の歴史をみていくと、今日の人種差別や偏見の因果関係が理解できるような気がする。注目すべき現象は、個人レベルでの経済競争による異人種間の葛藤が水面下で渦を巻いている一方で、アメリカの経済は拡大していったことである。

 

参考文献

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Alan Brinkley. The Unfinished Nation. McGraw-Hill. 2000

William Bruce Wheeler, Susan D. Becker. Discovering the American Past. Boston, Houghton Mifflin.1998.

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C. Bárbara Cruz and Michael J. Berson, The American Melting Pot? Miscegenation Laws in the United States, Magazine of History, Vol. 15, No. 4, Family History (Summer, 2001)

Harry H.L. Kitano and Roger Daniels, Asian Americans: Emerging Minorities, Prentice Hall, 2001

Interracial Couple Denied Marriage License By Louisiana Justice of The Peace, Huffington Post, Oct. 16, 2009 http://www.huffingtonpost.com/2009/10/15/interracial-couple-denied_n_322784.html

James R. Browning, Anti-Miscegenation Laws in the United States, Duke Bar Journal, Vol. 1, No. 1 (Mar., 1951), Duke University School of Law

 

 

 

 

 

 

 

 

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