アメリカの最新課題 Contemporary American Issues © 2016 Yuko’s Blog. All Rights Reserved.  

大学のカリキュラムにも組まれている人間の性の問題について身近に考える機会が増えた。特に同性愛の問題は政治的、宗教的、あるいは社会的側面から今日頻繁に論じられている。オンライン.クラスとして受講したこの種の課題には、想像以上に複雑で深刻な問題が隠されていて、従来の性の認識について改めて考える機会を与えてくれた。人類始まって以来、人間には男性と女性のみ存在するものとして、人間は誕生すると男の子は男らしく、女の子は女らしく成長するようしつけられるのが当然として考えられている。成人になってからも性別による違いを繰り返し強調し、男性は外で働き一家を経済的に支え、女性は家事と養育に専念するという伝統的な性別的役割 (traditional gender role)を教え込まれ信じ込まされてきたが、果たしてそれが正しいのかどうかという疑問を提起する。

アメリカでは1970年代から一部の社会学者、心理学者、及び生物学者などの間で性に関する興味深い研究が進められている。その研究は、生まれたばかりの乳児を持つ両親と提携して行うもので、研究者と両親がその乳児を男でも女でもない中性的性(gender neutrality)の人間として育てた場合、その子供はどのように成長していくのか、その成長過程を観察し研究するというものである。この発想は本来リベラルなフェミニストにより提唱されたものであるが、心理学的、生物学的、及び他の科学的分野で物議をかもし出している。そのような子供の養育法は肯定的な面が強調されるよりも否定的な面、特に同姓愛者を養育する結果になるのではないかとの懸念が強い。

そのような懸念が反映してか、この複雑な実験的養育法に参加する両親は少ないため、中性的性の養育法を基本にした研究結果はまだまだ不足しているといわれている。Xとして育てられたある子供は、両親に性の区別をつけられず、特に男あるいは、女の子と一見してわかるような服装は与えられず、男の子にはトラックや車のおもちゃ、女の子には人形といったステレオタイプの発想を捨て、スポーツ、趣味、勉学の選択も月並みな性別役割の区別なく両方に対処できるように育てられた。Xが学校に入学するようになった最初の頃、他の子供よりちょっと風変わりなXはクラスで疎外されがちだったが、頭が良く明るく何でもできるXを尊敬するクラスメートが増えてくる。Xは男子用、又は女子用と区別されたトイレを使用する必要はなく、特別、校長室のトイレを使用することが許可される。結果的に、Xは人間として、性別の領域を超えて何でもできる人間に成長したという話しである。これは何を示唆しているのだろうか?フェミニストが提唱した中性的性の養育法で育てられた子供は通常、男子に要求される様々なスポーツ能力、論法における知的能力及び論理的思考力の発達に加えて、通常女子に求められる感情と繊細さ、いわば両性の特性を備えた人間の形成が可能であるという。

ユーチュブ(You Tube)に人形をほしがるウィリアムWilliam Wants A Doll) というタイトルの漫画がある。ウィリアムという名の人形をほしがる5歳の男の子に困った両親が、バスケットボール、バトミントン、ビー玉や野球など男の子が楽しめるスポーツの機会を与える。このような男の子らしいスポーツもうまくこなすウィリアムはスポーツに参加して親を満足させた後、それでも人形がほしいと両親にせまる。ある日、ウィリアムのおばあさんがウィリアムの好みの傾向を吟味した後、赤ちゃんの人形をプレゼントする。悲しい気持ちになったウィリアムの父親にこのおばあさんは、将来ウィリアムが子供を持ったとき、自分の赤ちゃんのおしめを変えたり世話することを早くから学ぶことができるではないかと説得する。

このビデオは一見単純な漫画であるが、子供の養育に対する大変重要なポイントがある。男の子にはトラックや車のおもちゃ、女の子には人形、こういったステレオタイプの性別役割の習慣が成長ざかりの子供の可能性に限界を生み、別の角度から人生を学ぶチャンスを阻止するのである。一方、子供を性別のない環境で育てた場合、肉体的及び性的発達の段階で混乱をきたし、異常な行動をとるようになり、最後には同姓愛者になるのではないかと懸念する両親も多いが、中性的養育法を提案したフェミニストは、この懸念を否定している。またこの発想に反対する人達は、男女の複雑な性別及び生物学的違いを認識することの重要性、及び男又は女であることの意味は何であるかを強調している。

しかし、アメリカ社会には性別をはっきり認識できない、又は生理学的にはまさに女性であるのに、外見的に男性に間違われる人も沢山いる。私はそのうちの一人を良く知っている。彼女が2~3歳の頃、彼女の父親は母親に暴力をふるっていたらしく、両親は離婚した。その後、彼女の母親が再婚した男性は誠実でやさしく、彼女はすぐパパと呼ぶようになるくらい大事に育てられた。私が初めて彼女に出会ったときはすでに、ボーイシュな印象だったが、10代の頃の彼女を写真でみると、髪の長い普通の可愛い女の子だったようだ。20代の始めごろから外見が徐々に変わり始め、5~6年前修士課程を取得した頃までには、服装や髪型ばかりか、話し方や声まで完全な男性になってしまったような彼女の変貌ぶりに驚いたことがあった。彼女は、2008年にカリフォルニア州が同姓愛者の結婚を禁じる法律を制定する前年、愛する女性と結婚し密かに暮らし始めた。彼女の親族には同姓結婚を受け入れない熱心なキリスト教信者がいるため、彼女は家族との交流が疎遠になりがちであるという噂を聞いた。このような同姓愛者はざらにいるのがアメリカ社会である。

結婚の自由は憲法、特にアメリカの権利章典(The Bill of Rights)に保障されているため、 宗教の問題ではなく本来公民権に関する問題であるはずだが、特にキリスト教信者は同姓愛者を敬遠し、彼らの結婚に反対している人が多い。結婚式のセレモニーを行う多くの宗教組織、特に宗教原理主義はその宗教原理により、同性愛者の結婚に強く反対しているからである。しかし、結婚法は各州の法律が監督するものであり、州は宗教団体に結婚式のセレモニーを行うことを要求していない。例え、法律が信仰に強い影響を受けたとしても、結婚の自由は宗教とは無縁のものであるはずだ。アメリカで経済的及び社会的に最も疎外されているグループは同姓愛者であるが、同姓が同姓に魅了される原因は複雑な生物学的理由によるものであるとの説もある。(続)

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