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2011年 5 月2日に米国の特殊部隊に殺害されたオサマ.ビンラディンのパキスタンにある隠れ家で押収された文書が20日公開された。多数におよぶその書類はビンラディンの文庫と呼ばれている。その文庫に含まれる書類の幾つかは、ビンラディンが米国を攻撃する目標に固執し、アルカイダ.グループに圧力をかけていた事を含めて、幾つかの興味深い事実を反映している。

米国国家情報長官の報告によると、隠れ家で見つかったビンラディンの文庫は大きく2つに分類されている。ひとつは英語で記載された非分類の書類、もう一つは選択された機密解除文書である。これらの文書は(1)103種目の機密解除文書、(2)一般に公開可能な75種目の米国政府文書、(3)39冊の英文書籍 、(4)暴力的な過激派及びテロリスト.グループが出版した35種目の資料、(5)19種目のフランスに関する資料 、(6)33種目のメディア関連記事、(7)11種目の他の宗教関連書類、(8)40種目のシンクタンクおよび他の研究資料、(9)30種目のソフトウェアおよび技術関連マニュアル、(10)14種目の雑種文書、(11) 他の住人が使用したと思われる10種目の書類が含まれていて、これらはビンラディンの文庫と名付けられている。

これらの書類の一部は、ビンラディンがテロ攻撃を米国に集中し、米国を致命的に打倒するまで戦い続けることをアルカイダに説得している。これらの文書の中には、アラビア語に対応している彼の複数の副官に宛てられた手紙、妻の一人に宛てたラブレター、テロリスト.グループをリクルートする為の申請書などが含まれている。また、英語版の書籍には経済的および軍事理論もある。更に、多数の翻訳された手紙、アルカイダの運営を詳細にした他のノートを含む103の文書及びビデオなどがある。多くの文書はアラビア語で記載されている。また、フランスに関する資料は学術的報告、フランスの軍事力、政治および経済に関する記事である。

ビンラディンは長い期間、隠れ家生活を続けていた為、ある手紙は深い苛立ちがあったことを示唆した。皮肉な事に、彼は2011年5月2日、米国の特殊部隊に殺害される数ヶ月前、アボタバードの隠れ家から別の場所に移動することを真剣に考慮していた。彼は、隠れ家を提供し、外部世界への接続役として務めた「パキスタンの兄弟を残して出ていかなくてはならないと思う」と書いている。ビンラディンは「しかし、別の場所を手配するためには数ヶ月かかると述べ、彼の3番目の妻は、息子のハムザや他の家族は私たちに参加することができる」と書いている。それから半年も経過しないうちに、ネイビー.シールズは空上から建物に侵入し、ビンラディンと彼の複数の世話人を殺害した。当時そこに居た彼の妻は拘束され、パキスタン当局に引き渡された。

ネイビー.シールズが集めた書類の大部分は分類する為、および今後の一般公開のために分析が行なわれている。ビンラディンは驚くほど集中的にテロリスト.ネットワークを支配し、監督していたリーダーであったことを示唆している。また、ある3ページの文書は、彼の家族と再会するための努力を詳述しているが、その努力はアルカイダの指導者と彼の家族を保護する責任があったアブ·アフメド·アル·クウェートおよび彼の兄(又は弟)に拒否された事を明らかにした。彼等の家族は同じ建物に住んでいた。ビンラディンも含めて、同じ建物に住んでいた住人は3階建てのコンクリートの壁中に閉じ込められた生活に疲れ果て、そのフラストレーションは絶望的なレベルに達していた事を示唆した。また、同じ文書はアルカイダの指導者に浸透していた妄想が幾分あったことも示唆した。例えば、ビンラディンは、 CIAまたは別の敵が追跡装置を隠蔽したかもしれないので、最近歯科充填治療を受けた妻にその歯を削除するよう命令したという。また、39冊の英語の書籍が発見された為、彼は少なくとも基本的なレベルの英語を読む能力があった事も推測されている。

2011年5月2日にオバマ政権の指揮下で、ネイビー.シールズはビンラディンを発見し殺害した。その日回収された多量の文書の一部は過去にも数回公開された。この出来事が歴史上存在しなかった場合、これらの文書も発見されることはなかった。従って、米国は今もビンラディンの指揮下でテロリストのターゲットとして、9.11後も頻繁に攻撃されていた可能性があったことを明確にしている。

 

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