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1961年5月25日、ジョン.F.ケネディは議会合同会議で宇宙開発のための融資を提供するよう約8分間の熱意あるスピーチを披露した。J.F.Kは米国で初の人類の月面着陸を提案した最初の大統領であり、54年前の今日、歴代のどの大統領より遥かに広大な宇宙開発の未来像を語った指導者である。融資の目的を3つに分けて説明し、その重要性を強調した。当時、一足早くソビエト連邦は宇宙空間への旅に成功していた為、宇宙開発競争に参加することは著しく重要であることを力説し、議会に財務上の協力をするよう懇願した。それから約9ヶ月後、ケネディは偉大な夢を成就した。

そのスピーチの中で、最初に「世界中で起こっている自由と圧制との戦いに勝つ」ために宇宙開発が必要であるとし、「偉大な新しいアメリカの企業のため、多くの方法で地球上の私たちの未来への鍵を保持することが可能かもしれない宇宙の達成において、明確且つ主導的な役割を取るための時がきた」と語った。また、「今後10年以内にこの国は人類の月面着陸を可能にし、地球に安全に戻る目標を達成する為、献身する必要があると考えています」と述べた。また融資に関して、700万ドルは既に利用可能であるが、更に(1)原子力ロケットの開発を加速するため 2,300万ドル、(2)世界規模の人工衛星通信の利用を加速させる為5,000万ドル、(3)更に7,500万ドル、その内の5,300万ドルは世界的な気象観測のための人口衛生システムを最も早く機能させる気象局を開発するために必要であると説得した。従って、62年度の予算として推定5.31億ドル、今後5年間で推定70億から90億ドルの付加的な予算を提供することを議会に要請した。

J.F.Kは中途半端であれば何もしない方が良いと断言し、議会が本格的な宇宙開発プログラムに 参加することを求め、 「国として最も重要な決定をします….宇宙支配がどうなるか究極的意味を誰も予測することはできません」と述べた。また、「私たちは月に行くべきだと考えています」と壮大な未来を語ったものの、「議会の前で国民に負担をかける資金を要求することに私の前任者が喜ぶはずはない」として納税者の理解を求めた。ケネディは「私の判断では、我が国の中で、世界中の自由な生活の中で最も深刻な時であり、それは義務であり、少なくとも、議会のメンバーに彼等の判断で決定するよう求める事は、米国大統領の義務であると考えています」と真摯な要請をした。

1960年代初期はソビエト連邦との冷戦の最中であり、同年4月12日にはソビエトはボストーク宇宙船で世界初の宇宙空間へ旅立ったユリィ.ガガーリンにより既に地球の軌道を完了した。ソビエトは地球の軌道に成功した最初の国になった為、ライバル意識があったと思われる。ケネディの力説の成果があって、5月5日には米国初の月面飛行を実施したが、その当時マーキュリー.プログラムの宇宙飛行士であったのアラン.シェパードはガガーリンとは異なり、軌道を達成することは出来なかった。米国は宇宙技術でソビエトに遅れを取った為、メディアは米国が冷戦によるイデオロギーの戦いに負けたと報道した。しかし、NASAの科学者は米国の宇宙科学はソビエトの研究より勝っていると主張したと言われている。一般的に、歴史家はケネディが宇宙開発の予算を大幅に増大することを議会に要請したのはソビエトに影響を受けたからであり、米ソ両国は宇宙科学の側面でもお互いに強いライバル意識があったことを認識している。

その後、NASAはアポロ.プログラムを開発し、南カリフォルニア、フロリダ、テキサスなどに航空宇宙施設を建設し、多数の技術者や科学者を雇用した。5年以内には数十億ドルのアポロ打ち上げ計画のため、数千人が雇用された。マーキュリー.プロジェクトを遂行するため、テスト.パイロットとして採用された7人の軍人は米国初の宇宙飛行士として誕生した。アラン.シェパードはその中の一人である。1962年 2月20日、ジョン.グレンがフレンドシップ7で軌道に成功した最初のアメリカ人になった時、J.F.Kの夢は成就した。地球を3周した顕著なグレンの達成にアメリカ人も感激し、ケネディはグレンをホワイトハウスに招待した。おそらく、ケネディの最大の貢献は、ソビエトを意識した宇宙開発競争の構想に基づき、数々の宇宙開発プログラムを推進したことである。

 

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