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1944 年 6月22 日、フランクリン.ルーズベルト(FDR)は全ての兵士の機会向上を目指す為、1943年に数回議会に提案した G.I 法案に署名した。第二次世界大戦(WWII)後、アフリカ系アメリカ人(黒人)は中産階級の仲間入りを果たし、経済および社会的に成功する基盤を提供された。しかし、その機会を利用し成功したのは一部の黒人だけであり、大半の黒人は平等の機会を閉ざされ、常に貧困に直面していた。米国の労働市場において、現在でも黒人が最も失業率が高い理由は何か?このルーツはWWII終焉前も見られた構造的な人種差別にある。

FDR図書館によると、G.I 法案は(1)一学期ごとに500ドルを支給し、学問を修得する期間中日々の生活手当を受ける権利を与える。(2)退役軍人が家や農場の購入及びビジネス機会を得るため、一定ローンの50%を超過しない特定の貸付金を支給することを保証する。(3)仕事を見つけることが困難な退役軍人に最大1年間、毎週無理のない失業手当を支給する。(4)退役軍人、帰還兵士および船員のため効果的なカウンセリングおよび就業を援助する。(5)全て必要な病院施設建設を退役軍人省に認可する。(6 )既存する責任の解放及び追加を迅速かつ効率的にするため同省の権威を強化する。

FDRはこの法案の署名および特別な退役軍人給付のバランスの取れたプログラムはほぼ完成していると述べ、軍隊の男女を失望させないとの強い確信を示した。なぜなら、連邦政府は戦争に参加する男女に対して、適切な扶養家族手当、戦争帰還兵士への資金提供、寛大な入院費、医療費、職業的リハビリテーション、トレーニング、兵役中の死亡または障害の場合に寛大な年金、実質的な戦争リスクの為の生命保険、軍隊任務期間中の市民権保護と特定の民事責任の法務執行中止、兵士の妊婦のための緊急介護、退役軍人の再就職権利などを既に提供している。従って、この法案と既存の法律は経済的犠牲および他の犠牲を強制されてきた軍隊のメンバーに特別な利点を提供することで、特殊な問題に対処することに役立つと述べている。また、更なる研究と経験に基づき、変更および改善を図ることは可能であるが、迅速な行動を取った議会は祝福されるべきであると述べている。

1944年6月22日にFDRが署名したG.I法案は、WWIIが終焉に近い平和な時代への移行時期である。G.I法案は教育の助成金、住宅ローン、失業保険、起業家の為のローンなどを提供することで、軍人が終戦後も兵隊に戻ることを目的にしたものである。戦争終焉後、兵士が経済的に独立できるよう援助し、全ての兵士に著しい向上の機会を与えた。この法案は数千万人の男女に高度教育の機会を提供したため、実質的に米国経済に本格的な民主化をもたらす要因を与えたと評価されている。入隊を許可されたアフリカ系アメリカ人は軍隊の中でも人種差別に直面し、公民権の葛藤がある一方、国に奉仕するプライドが芽生えた側面もあった。戦後、多数の黒人の退役軍人は南部に戻らず、北部および西部州に移住した。また、G.I 法の恩恵を受け、専門教育および技術を習得した黒人は経済的に向上したが、引き続き人種差別の葛藤に直面した。

G.I法案は差別を意図していなかった為、黒人も教育および住宅ローンに役立つ給付を受けたが、白人兵士と全く同等の恩恵を受けるチャンスを阻止された事も別の側面である。当時の退役軍人省は、アメリカ遠征軍の退役軍人によって1919年3月にパリで結成され、全て白人で構成された連邦政府の米国在郷軍人会と提携していた為、黒人が高度教育を求めることを拒絶し、住宅ローン会社および銀行は黒人地域社会に融資を拒否するなどの人種差別があった。結果的に大多数の黒人は平等の機会を得ることはなく、むしろ貧困に直面した。また、人種分離提唱者の多い南部では黒人の大学入学はほとんど不可能であった為、全ての兵士に提供された教育の機会は黒人に対して閉ざされていた。黒人を受け入れる大学の数は限定されていたため、人種分離された数の少ない黒人大学に通う必要があった。

従って、1940年代の経済向上は人種、肌の色、生まれた環境に大きく影響を受けたと言える。 また、人種差別による黒人除外は今も続いている為、所得格差、失業率、雇用機会の点で、他の人種を比較した場合、アフリカ系アメリカ人は慢性的に最もハンディがある。 なぜなら、過去の世代が経験した構造的人種差別とその結果は世代から世代に多大な影響を及ぼすからである。従って、米国近代史の中で、WWII時代に黒人兵士が直面した人種差別は今日も続いているルーツである。

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