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ハリウッド10とその家族

1947年10月20日、議会はハリウッドの中に共産党員が潜んでいないかどうかを調査するため下院非米活動委員会(HUAC)を設置した。第二次世界大戦終焉後、世界の二大国である米国およびソ連間で緊張と不信がエスカレートした冷戦は1940年代後半から国内にもその影響を及ぼした。いわゆる「赤狩り」と呼ばれた米国共産党の台頭に対抗するキャンペーンはハリウッドの世界にまで浸透し、政治的ブラックリスト計画は1950年代まで続いた。

HUACは、民主主義基盤の社会で共産党の台頭は堪え難いと主張し、政治的謀反者と見られるハリウッドの男優および女優をターゲットにした聴聞会を公表した。 HUACは、共産党はハリウッドにその思想を浸透させ、共産党のプロパガンダでアメリカの映画界を汚していると主張することで映画産業関係者を標的にした。作家、俳優、映画監督は委員会で証言することを要請されたが、その中には、彼等の政治的信念に関する質問に答えることを拒否したため、侮辱罪で投獄された人達もいる。ハリウッド業界は公的イメージを保護するため、忠誠心の疑わしい人物のブラックリスト計画を採用した。その後、就労を禁止された人達が続出した。

実際には共産党ではなかった脚本家、俳優、監督、音楽家、その他エンターテインメント業界の労働者は、疑わしい人物としてブラックリストに記載された為雇用を失った。このブラックリストが作成される前から、リストに記載された人物と関与があった人達も失業する運命にあった為、俳優および映画関係者の雇用率は著しく低下した。ブラックリストは合法的に検証可能な性質のものではなかったが、映画産業の労働者は個人の経歴に多大なダメージを受けた。1947年11月、HUACの聴聞会で証言することを拒否した10人の脚本家や監督は、議会を侮辱したとしてブラックリストに記載され、ハリウッド10として知られている。ブラックリストは徐々に拡大し、特にターゲットにされた数百人の脚本家は労働市場から除外される迫害を受けた。ブラックリストの拡大と影響は1950年代後半まで続いた。

映画界の大御所ウォルト.ディズニーを含め、当時著名な多数の俳優が証言したと言われている。1981年から1989年まで第40代大統領であったロナルド.レーガンは1947年までにHUACで証言した経験がある。レーガンは1937年から、幾つかの主要な作品に出演していたハリウッドの俳優であり、共産主義の影響を根絶するため働いていた映画俳優組合の社長に二回選出された。レーガンは、彼の組合のメンバーが共産党員であるかどうか知らないが、組合はメンバーを良く管理していたと証言したことで知られている。1983年、レーガンはソ連を「悪の帝国」と呼び、武器競争をエスカレートさせた事で有名な大統領である。しかし、1987年12月、ゴルバチョフ書記と中距離核戦力全廃条約(INF)の合意に成功しワシントンD.C.で署名した。

共産党は米国社会で最大の脅威であるとのプロパガンダによる共産党封じ込め政策は多数のアメリカ人を犠牲にした。ハリウッド10のメンバーの中にはペンネームを利用して仕事を続けたが、ブラックリストに記載された多数の映画界のプロは継続的にFBIの屈辱を受け、長い間キャリアを取り戻すこともなければ、家族や友人を失う苦しみを味わったと言われている。多数の映画業界のメンバーを失業に追い込んだハリウッドの赤狩りは米史上最も恥辱的なイベントの一つである。米国議会は、国土安全保障の名の下に、憲法違反、人権違反、個人の自由の権利に対する違反を含め、取り返しのつかない歴史の汚点を残したと言える。ハリウッドが圧倒的にリベラルな世界である理由は、そのような観点から忘れてはならない抑圧の歴史に対する反動があるからだろうか?

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