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1988年12月21日は世界の航空史上、衝撃的で壊滅的な爆破事件が発生した日である。この日、ロンドン発ニューヨーク行きパン.アメリカン航空103便はスコットランドのロッカビーの空上で爆発した。単なる事故だったのか、テロ攻撃だったのか、または誰かが爆発装置を仕掛けたのか、事故直後様々な憶測が錯綜した。その後、一般的アメリカ国民はテロ攻撃だと思い、法務執行当局は報復の可能性を疑った。真犯人と動機が判明するまで10年以上が経過したが、ある日、一人の男性が偶然確定的な証拠を発見し、事件は劇的な進展があった。飛行近代史のグルーバル的航空機爆破事件の記録はどうなっているだろうか?

同機はロンドンのヒースロー空港を午後6:25分に離陸し 6:56 までに高度31,000フィートに達した。午後 7:03 にロッカビーの空上で爆発した機内に搭乗していた243人の乗客および 乗組員16人は全員死亡した。飛行機の燃料は機体が地面に落下する前に燃えていた為、爆発した機体の残骸は幾つかの住民の家を直撃し、地上でも11人が死亡した。合計270人の死者を出したパン.アメリカン航空103便の爆発事件の被害者は21カ国の搭乗客であるが、ほとんどの乗客は米国人であった。飛行機の翼の一つはロッカビーの南部地域に落下し、150フィートの長さの破裂穴を作るほどの衝撃があった。

一般の国民はテロリストによる犯行であると思ったが、捜査当局は1986年リビアでの米軍による空爆に対する報復であると信じた。リビアの最高指導者ムアンマル.カダフィーの家族の一人が空爆で死亡したか、または1988年ペルシャ湾で米国ミサイル巡洋艦が事故でイランの商業機を追撃し、搭乗者290人全員を死亡させた事件のいずれかの復讐であると推定された。米国政府は、ロシアの戦闘機F-14であると誤った判断をしたと主張した。その後、パン.アメリカン航空103便の爆破原因は復讐であるとの推測が濃厚になった。英国と米国の共同捜査が開始されたが、事件の犯人と動機が判明するまで10年以上の歳月が流れた。15,000人のインタビュー、180,000の証拠品の検査、及び40カ国以上の国で研究が行なわれた。その結果、タイマーにより起動したと思われるプラスチック製の爆弾が発見された。爆弾は東芝のラジオ.カセット.プレイヤーに隠されていたもので、サムソニート社の茶色のスーツケースの内側に入っていた。

その後、犯人の手がかりを得るきっかけとなるエピソードがあった。ある日、犬を連れてロッカビーから約80マイル(128km)離れた森林の中を歩いていた男性は、幾つかの粉砕したタイマーの破片が付着したT—シャツを発見した。タイマーの製造業者およびそのT—シャツを追跡調査した捜査官は103便を爆破した犯人がリビア政府のシークレット.サービスの局員でアベデェルバセット.アル.メグラヒとラミン.カリファ.ヒマンの二人であることを確信した。米英両国は二人の裁判を米国または英国で行なうことを推進したが、リビアの独裁者カダフィーは犯人の引き渡しを拒否した。米英両国は国連安全保障理事会に援助を求め、リビアに二人の引き渡しを要請した。しかし、カダフィーは拒否し続けた為、リビアに経済制裁を課した。1994年、リビアは国際判事により中立国で裁判を行なうことを提案したが、米英両国はこの提案を拒否した。1998年、米英両国はスコットランド判事による裁判を提案し、翌年4月リビアはこの提案を承諾した。捜査当局は二名の共同犯行であると信じたが、ヒマンは証拠不十分で無罪放免された。 2001年1月31日メグラヒは有罪で逮捕され、終身刑を命じられた。2009年8月20日、前立腺癌の末期症状で苦しんでいたメグラヒはリビアの自宅での死亡を可能にするため釈放された。3年後の2012年5月20日、彼は自国のリビアで死亡した。

パン.アメリカン航空103便の爆破事件で、270人を殺害した犯人が癌の末期症状に直面していた為、リビアに送還したことは人道的である。しかし、1986年に米国がリビアで空爆を行なっていなかった場合、歴史は変わっていたかもしれない。当時大統領であったロナルド.レーガン(1981—1989年)の外交政策の優先課題はリビア問題であった。カダフィーは反イスラエルであり、パレスチナ及びシリアで過激派グループを支援していた。1986年4月のリビアに対する空襲は、リビア北海岸の地中海に位置するシドラ湾で国際法違反の200海里を主張したことも一因であるが、この事件は攻撃的空爆の暴力には同類の暴力による報復があることを示唆する歴史の一例である。

世界の旅客機及び貨物機の爆破事件に関する飛行史上の記録によると、過去約70年間で88回発生し、少なくともそのうち10%以上は米国航空機に関連している。88件の合計死亡数は2,790人、負傷者129人、そのうち33件はテロリストによる攻撃である。14件は自殺または殺人が動機である。爆破事件の最も多かった年代は1970年代および1980年代である。1977年を除き、1964年から1989年までは少なくとも毎年一回、商業機爆発事件が発生した。最悪の年は1985年に5回発生し、332人が死亡したが、その中で最大182人の死亡者はインド航空機に搭乗していた乗客であった。1990年代から2000年代に入り、飛行機の爆破は一般的になったが、2001年9月11日のハイジャックと自爆テロによる同時多発テロ攻撃は、旅客機を狙った無差別のテロリズムとしてその脅威は米国の歴史から消えることはない。早期の飛行機爆破事件は、ほとんど自殺または経済的問題など個人的なものであることが特徴である。しかし、近年の商業機爆破はテロリズムによるもので、ほとんど政治的および宗教的動機が要因である。従って、特定の報復ではない無差別のテロリズは一般市民がターゲットになる可能性が高くなっている。

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