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1959年8 月21日、ハワイはアメリカ合衆国の50番目の州になった。19世紀初期、ハワイ島に到着した最初のアメリカ人は宣教師である。1870年代の中頃にはアメリカのサトウキビ栽培業者が最初の移民として定住し、次第に米国との条約を結ぶことでアメリカはサトウキビ市場を開拓した。1880年代初期には条約を改正し、真珠湾に米国の海軍基地を構築した。1890年代 、アメリカのサトウキビ生産業者は米国海兵隊の援助により、君主制下でハワイを統治していた女王を追放し、ハワイを合衆国として併合した。1941年、日本軍の真珠湾攻撃はハワイの重要性を最も認識させる歴史の一因となった。ハワイがアメリカ合衆国50番目の州になった歴史的背景は、日本も1850年代同様の経験をした米国の侵略的側面を反映している。

1898年にハワイ島が米国に公式に併合される前には多大な混沌と葛藤があった。1893年、米国のサトウキビ栽培業者は女王リリウオカラニを打倒するため反乱を起こし、合衆国軍隊は宣教師や米国人を保護するため、大統領の承認なしに島を襲撃し、女王を強制的に退位させた。戦争か合併かを迫られた女王は要求に応じる以外に方法がなかった。これは、1852年アメリカ海軍の提督であったマシュー. ペリーの率いる黒船が日本に入港し、銃を突きつけ戦争か開港かのどちらかを迫った歴史に似ている。これをガンボート.ディプロマシィ(砲艦外交)と呼ぶ。いずれにしても、1893年 4月大統領に就任した反帝国主義者のグロバー.クリーブランドはハワイでの米国の一連の行動に不快を表明し、併合条約を撤回した。クリーブランドは、調査命令を含め、リリウオカラニを君主に復帰させる努力をしたが、一般的に米国民は併合を支持していた。1897年ハワイの愛国者組織は合併条約を阻止すため、議会に誓願書を送りこれに成功した。しかし1898年の米西戦争中、真珠湾に設置された米軍基地を利用することでハワイの戦略的な重要性を認識するようになり、ハワイを米国の領土として合併した。米国国務省のアーカイブは「1898年のアメリカのハワイ併合は、太平洋に米国の領土を拡張し、経済統合力として、米国向上に起因する最重要性を強調した」と表明した。

1898年8月の合併セレモニー

1941 年12 月日本海軍は日本に貿易制裁を課した米国に対する報復として、主に戦艦に焦点を当て、警告なしに真珠湾を奇襲攻撃した。日本は鉄、鋼、ゴムなど天然資源に乏しい国であるため、特に南アジア及び南東アジアからのゴムの輸入は非常に重要であったが、米国は日本の貿易に攻撃的であった。日本の軍国主義台頭及び中国への侵略政策に反対していた米国は1930年代後半から、日本に対して貿易を制限するようになり、1911年に締結した通商条約を終え、1940年には輸出管理法で更に貿易を引き締めたことが真珠湾攻撃の主な要因である。日本海軍による奇襲攻撃は更にアメリカにとって、真珠湾が太平洋に保持している最も強力な軍事基地であることを認識する結果となった。

1959年3月、米国連邦政府はハワイを承認し、数ヶ月後圧倒的多数のハワイ住民は投票を通して、ハワイが合衆国の一部州であることに同意した。合併から61年後、ドワイトD.アイゼンハワー大統領はハワイを合衆国の50番目の州として宣言し署名した。合併を英語でアネクセイション(Annexation )と呼ぶがハワイの合併は体裁の良い表現であり、実際には侵略にほぼ近いとして解釈される場合もある。約1,500年前ポリネシア人は2,000 マイル(3,200Km )の距離をカヌーで航海し、奇跡的にハワイ島に辿り着いた。約1,000年前にはタヒチからの人々が移住し、民族宗教及び厳格な階層制度を広めた。 1960年以降、ハワイは急速に経済発展したことは承知の通りである。航空会社の競合、航空サービスの増加、 ホテル及びレストランの建設、観光ブームによる雇用の拡大など、ハワイの経済は著しく変化した。現在、住宅は高騰し、交通は常に混雑し、天候の良さに魅了されたホームレスが他州から流れていることで新たな問題が提起され、住むにくい州の一つになっている。

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