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2001年ジャーナリズムのピューリッツアー受賞者及び調査記者であるデイビッド.ケイ.ジョンストンほどドナルド.トランプを深く知っているジャーナリストは他に存在しないと言われている。2016年8月2日に出版された彼の著作The Making Donald Trump は30年間の密着取材、多数の関係者とのインタビュー、トランプの財務記録、裁判所記録、及び公文書などの資料を基に祖父及び父の不動産業で構築した幸運、彼の生立ちと教育、大統領選に立候補するまでを描写している。トランプと親密な交流を深めた著者が目撃したトランプの複雑で詳細な調査レポートは、選挙キャンペーン中に観察された彼の虚偽の富のアピール、納税申告書提示の拒否、契約者及び労働者への未払い、数々の訴訟、多数の女性との既婚外関係を含むトランプの知られざる側面を伝えている。当ブログの連載は、約290ページの著作の内容から限られた範囲内でジョンストンが特に強調している箇所を要約、解説、及び著者の言葉を引用したものである。その幾つかの劇的な記録を ⑴ 簡略的な家族歴、⑵ マフィヤ、麻薬密売人、及び他犯罪者との友好関係、⑶ メディアとの対立、⑷ トランプの人生観、⑸ 訴訟と対訴訟の例、⑹ 厳しいカジノ所有免許を怪しげに取得、⑺ 経済的困窮と税回避、⑻ 巧妙なビジネス慣行、⑼ 2016大統領選:独裁者としてのビジョン、⑽ 著者紹介と著作の目次に分類した。

ジョンストンは序説で「トランプの最も高度に洗練されたスキルは法執行当局の捜査を逸脱することや停止したりする彼の能力である。トランプと呼ばれる賢く強力な男性の幕の背後を調査する報道機関の動きを阻止するため訴訟の脅しを利用している」と述べている。また「重要なことに、トランプは暴力団、多数の暴力団関係者、詐欺師、麻薬密売人、犯罪者との生涯の絡み合いについて、世間に知られないよう懸命に努力してきた。彼は、従業員、売主などへの支払を拒否し、何千回も訴えられた。投資家は多数の異なる都市で彼を詐欺で訴えた」と述べている。あとがきでは2016年大統領選でトランプが公約した課題は大統領の権限を超えていると述べ、民主党大統領候補者のマイナス要素について分析した。The Making Donald Trump 『ドナルド.トランプになるまで』の趣旨は、なぜトランプが大統領としては前代未聞の不適格者であると言われ、なぜ多くの共和党が反トランプ運動を展開したのかその複雑で絡み合った理由を見事に描写している。

簡略的な家族歴

1885年、次期大統領ドナルド.トランプの祖父フレデリック(1869年3月14日〜1918年5 月27日)は16歳の時、ドイツからの移民としてニューヨークに着き、結婚していた姉キャサリンと彼女の夫の家にしばらく同居した。ドイツの徴兵制から逃れて米国に入国したフレデリックは、ドラフト制度を避けることが渡米の理由ではなく、母を援助するため経済的機会を得る必要があったことを手紙で説明した。しかし、ドイツ当局は彼を信じなかった。ある時点で帰国した後、再度、ニューヨークに戻ったフレデリックはビジネスに成功し繁栄し続けた。また西部に移動し、シアトルに落ち着いた後にレストランを開業した。1892年には市民権を取得し、レストランを売却し、土地は彼が所有したものではなかったが、ホテル建設のビジネスを開始する。ゴールド.ラッシュ当時、彼は小さな財産を築いた。1901年32歳の時、ドイツに戻り妻のエリザベスを伴い米国に再入国するが、エリザベスはニューヨークを好きになれなかったため1904年、妻エリザベスと小さな娘を連れてドイツに戻った。再度ニューヨークに戻り、床屋を含む低賃金の仕事に従事した。フレデリックは1918年世界的に蔓延したインフルエンザで死亡した2,000万人の一人であった。

ドナルド.トランプの父フレッド.トランプ(1905年10月11日〜1999年6月25日)はフレデリックの財産を受け継ぎ、彼の母であるエリザベス及び彼の息子と一緒に自宅の車庫で建設会社を始めた。フレッドは21歳の時、ニューヨークのクイーンに住んでいたが、100人のニューヨーク市警と1,000人のK.K.Kとの暴動に参加し逮捕された。1927年ニューヨーク.タイムスは警察の記録に基づき、この事件を報道した。2015年6月16日大統領選に立候補した3ヶ月後、トランプはその当時彼の父はクイーンには住んでいなかったと述べ、この事実を否定した。トランプは「そんな事は起きていません。罪状はありませんでした。罪状がなければ完全に嘘です。そのような事を言及するべきではありません」と語った。ドナルドは「彼の行動に対する尋問を制限する慎重で一貫した努力をし、彼は法執行機関や支払いを怠ったとして民事詐欺で彼を訴える人々による尋問を歪めるスキルを保持している」と著者は述べている。

フレッドは1929年、セルフ.サービスの食料品店を開業し大成功したが1年後にはその店を売却することで相当な利益を得た。フレッドは第二次世界大戦中、ワシントンで連邦住宅管理の政府請負業者としてペンシルベニアとバージニア州でアパートや兵舎を建設した。政府の助成金で可能な限り安い建築資材を購入し、27,000戸のアパートや住宅を建設し、家族は家賃を集めていた。彼は$400万の利益を隠した疑いで連邦調査の対象になり、1954年7月13日上院委員会の公聴会で質問を受けた。フレッドは$400万の利益があった理由について、期待していたより材料費を安く抑え、期限より早く建築を完了させることが可能であったからだと説明した。しかし、彼は全く同じ設計の住居に毎月$40、別の住居人には$200とそれぞれ異なる家賃を請求し「不正ビジネス」に関与していた。

フレッドは1999年6月、93歳で他界した。フレッドが残した財産の遺言には医療保険の受理を停止することが含まれていたため、病弱な子供の問題で家族間の複雑な訴訟が起きたこともあった。しかし、フレッドは子供達に資産を残した。ドナルドは幼児の時から年間に$12,000のトラスト.ファンドを保持していた。ドナルドは子供の頃、攻撃的な性格で格子に囲まれた隣人の子供達に石を投げ、他の子供達にも喧嘩を挑発していた。彼の父フレッドはドナルドの態度に問題が多かったため彼が10歳の時、ニューヨーク陸軍士官学校に送った。1964年、18歳のドナルドは足の骨折による健康的理由により、ベトナム戦争の徴兵を免れた。何年かが経過したある日、ジャーナリストは「どちらの足ですか」と聞いたが、ドナルドは「覚えていない」と答えた。大学を卒業する頃には彼のトラスト.ファンドは$200,000に増加した。大学在学中、クラスメートや彼を知る学友達は彼をキャンパスで見かけることはほとんどなかったと語った。(続)

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