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「歴史」カテゴリーのアーカイブ

ブレイディ法案と銃規制

                                                                                       アサルト.ピストル

1993年11月30日は、42代大統領ビル. クリントンがブレイディ法案 (Brady Bill)と呼ぶ銃規制に署名した日である。法案の名称ブレイディは、40代大統領ロナルド. レーガン政権下で、ホワイトハウスの報道官であったジェイムス.ブレイディに由来している。1981年3月、就任後まもなく、レーガンは暗殺未遂に遭遇する。その当時、大統領のそばにいたブレイディ氏が負傷した為この法案に結びついた。 (さらに…)

退役軍人の日

11月11日の本日は退役軍人の日である。この日、オバマ大統領はバージニア州にあるアーリントンの記念墓地で開催された退役軍人の式典に参加した。 (さらに…)

ニクソン対ケネディの最終ディベートの日

10月21日の今日は、1960年の大統領選において、ジョン・F・ケネディとニクソンが4回目最後のディベートを実施した日である。アメリカの一般家庭がテレビを通して、ディベートを観るようになったのは、1960年の大統領選挙が初めてである。テレビが米国市場に参入したのは1950年代であるが、90%の米国家庭に白黒テレビが普及するまで10年が経過。この年、大統領候補であったケネディとニクソンの最初のディベートは9月26日であり、この日、推定6000万から7000万のアメリカ人がテレビに釘付けになったと言われている。 (さらに…)

ワシントン記念塔が公式オープンした日

10月9日は、1888年にワシントンDCのナショナル・モールにあるワシントン記念塔が公式にオープンした日である。地上からの高さ46メートルのワシントン記念塔は、今日米国のシンボルになっている。この記念塔の他にジョージ・ワシントンの名誉を称えるシンボルとして国民の生活に密着しているものに1ドル札や記念コインがある。公共施設として、ワシントン大学や、ニューヨークとニュージャージの間に建設されたジョージ・ワシントン橋が有名である。その他、ブロンズ像を含め、政治的な象徴として、複数の米海軍船艦がある。 (さらに…)

白人高校に初の黒人学生9人が入学した日

入学に成功した黒人学生らと関係者  入校に反対する白人達 〔有名な写真〕

派遣された連邦兵が黒人学生を誘導

公民権運動時代の1950年60年代の期間に、人種差別を最も露骨に表した事件のひとつは、アーカンソー州のリトル・ロックにあるセントラル・ハイ・スクルールで白人だけが通っていた高校に、堂々と入学を試みた9人の黒人学生が猛烈な阻止を受けたことである。その事件は1957年の9月25日に発生し、今日は55年目の記念日である。 (さらに…)

インペリアル・プレジデンシィ

米国政府の最も重要な政治的概念は国家安全保障である。国家安全保障という概念は第二次世界大戦後に生まれ、1947年に制定された国家安全保障法により、国内及び国外、更に軍事政策を充実させる目的で安全保障協議会が設置され、当時CIAなどの組織が誕生した。第二次大戦の終焉から冷戦の終わりまで、この国家安全保障は米国政府の命題であった。この期間は、国家安全保障の強調のもとに、大統領の権限が最大限に拡大した時代であり、インペリアル・プレジデンシィ(帝王的大統領制) とも呼ばれている。これは、憲法で定められた範囲以上の権力を駆使する大統領政治という意味であるが、その象徴的な大統領にハリー・トルーマン、ジョン・F・ケネディ、リンドン・ジョンソン、リチャード・ニクソン、ロナルド・レーガン、及びジョージ・W・ブッシュなどが挙げられる。冷戦がピークに達した当時は特にこの帝王的大統領制の傾向が強く、米国の大統領は共産主義を封じ込めるためその政治力を乱用し、秘密の不法活動に関与した。その基盤になった政治思想は国家安全保障であり、今日重要な米国政治の根本原理になっている。 (さらに…)

経済機会均等法が制定された日

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米国社会保障法が制定された日

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意外なオバマ大統領の先祖の調査結果

7月30日、モルモン教と深い結びつきのある大手の家系図調査会社、アンセストリー・ドット・カムは、オバマ大統領の家系図に関する過去2年間の追跡調査結果を同社のHPに発表した。オバマ大統領は、ほぼ米国で最初の合法的奴隷の子孫である可能性が高いとのことである。研究チームは証拠が不足していることを明白にしながらも、オバマ氏の母の家系図は、彼女の祖先が約370年前の殖民地バージニアの最初のアフリカ系アメリカ人奴隷、ジョン・パンチであることを示唆していると報告している。

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米国憲法改正法第十四条が認証された日

7月28日は、憲法改正法第十四条が米国憲法の一部であるとして、当時の国務長官ウイリアム・スワードによって公式に認証された日である。その数週間前の1868年7月9日、米国の3分の4の州は憲法改正法第十四条を批准し、最も重要な憲法改正のひとつになった。奴隷制を禁止した米国憲法改正法第十三条、および投票の権利を与えた憲法改正法第十五条とともに、第十四条は、南北戦争後の「再建改正法」と呼ばれている。憲法改正法第十四条の主な条項は、人種、皮膚の色、社会的背景に関係なく、米国で誕生したすべての人々に市民権を与え、全ての市民に自由と財産を保持する平等の権利を保証したものである。 (さらに…)

米国の独立記念日

本日7月4日は、1776年に独立宣言が布告された、米国にとって歴史上最も記念すべき日です。13の殖民地が英国からの独立を宣言する法的草案は、アメリカ合衆国建国の父である、ベンジャミン・フランクリンやジョン・アダムスの協力で、第三代大統領である、トーマス・ジェファーソンがそのほとんどを書いたと言われています。最終的な独立宣言の草案は、社会契約の形成に貢献したイギリスの哲学者ジョン・ロックが提唱した、幸福を追求する個人の自由の権利に基いています。 基本的には、法や政府より個人の自由を保証する自然法の重要性を説いたもので、個人の生命、自由、財産所有の権利をアメリカ合衆国建国の基本精神に置いています。 (さらに…)

ヨセミテのミニ歴史

6月30日の本日は、1864年にエイブラハム・リンカーンがヨセミテ渓谷の上院法案に署名し、ヨセミテが正式にカリフォルニア州立公園に指定された記念すべき日です。これが連邦政府が関与した最初の州立公園でしたが、カリフォルニア州が保持したのは1890年までです。その後は連邦政府の監督のもとに国立公園に指定されました。

ヨセミテには、スペイン人がカリフォルニアを占領する以前、またカリフォルニアのゴールド・ラッシュが始まる1848年以前に、すでに、数千年も前からアメリカ土着のインディアンが住んでいたと言われています。しかし、18世紀頃に蔓延した疫病でインディアン人口はぼ全滅したとの説もあります。また、白人移住による紛争が絶えず、1851年にはマリポサ・バタリオンと呼ぶカリフォルニアの民間軍隊とヨセミテ土着人とのマリポサ戦争が勃発しました。

ヨセミテは米国で7つの大自然驚異の中にランクされていて、2010年だけでも400万人以上の観光客が訪れています。ヨセミテを訪れた日本人も多いと思いますが、私も数回訪れました。4千年の遺産を受け継いだ自然の壮大さに言葉にはならないほど圧倒させられます。

ヨセミテの一景

2011年10月11日筆者撮影

女性の参政権が批准された日

6月4日の今日は、93年前(1919年)、初めて女性の投票権を認める米国憲法第十九条の改正が批准された日です。下院304対89票、上院56対25票の圧倒的な結果により、女性の参政権が認められた米国歴史上重要な記念日です。米国は早くから、ウーマン・リブ運動が台頭した国であることは知られています。1840年代から80年代にかけて女性平等の権利を獲得するため活躍した、エリザベス・スタントンやスーザン・アンソニーなどの絶え間ない努力が実って女性の参政権が認められたのは、半世紀を過ぎてからです。

この女性参政権の勝利には重要なポイントがあります。それは、このような女性の先駆者の社会意識だと思います。彼女たちは、女性にも市民としての権利があるのなら、男性と同様の権利がないのは「自然の法則」に反すると主張していたからです。妻、母親としての役目は偶発的なものであり、女性は社会の一部であることの重要性を強調していたからです。これは、西欧に根付いていた性別役割の伝統に波紋を投げかける主張だったため、米国女性の世論を二分し、反女性参政権運動もあったのです。しかし、結局、勝利に導いた要因は、そのような反勢力より、女性参政権を目指す女性らの組織化や論争の展開が優れていたことも挙げられます。決定的な要因は、最後まで諦めなかった強さと組織の団結力かも知れませんね。現在、女性の避妊問題で論争があるため、11月の大統領選挙は、女性票が重要な鍵を握ることになるでしょう。

ジョージ.ワシントン

1789年4月30日は、歴史上忘れてはならない日です。米国初代大統領、ジョージ.ワシントンは、1789年のこの日、ニューヨーク市のウォール街にあるアメリカ合衆国フェデラル.ホール〔議会での旧議事堂〕で、歴史上最初の大統領就任演説を行いました。1789年と言えば、フランス革命や人権宣言の採択など、世界史の中でも重要な年です。日本史では50年在位した第十一代将軍、徳川家斉の時代で、年号が天明から寛政に変わった年です。

さて、ワシントンの演説で、国民の安全、英国との外交関係、独立戦争後の不安定な経済状況、新天地のインディアンとの友好関係に深い憂いを抱いていたワシントンは、英国が1689年に制定したThe Bill of Rights 〔権利章典〕と共にアメリカ合衆国の憲法改正を議会に要求しました。米国憲法改正第一条から第十条を総じて権利章典と呼んでいることはご承知のとおりです。中でも、言論、報道、集会、宗教の自由を謳った憲法改正第一条は、米国精髄の法であると言えましょう。米国の重大な礎を築く発端となったこの就任演説から223年目を迎えた今日、米国権利章典の精神は失われたと悲観する声もあるようです。

ジョージ.ワシントンは、独立戦争を率いた優秀な軍人でしたが、自分は庶民的な農民だと信じていたようです。しかし、論理的で組織的な農業と肥料方法に関しては、米国の先駆者であり、除々に土地所有拡大に成功しています。今日のバージニア州、マウント.バーノンの邸宅には、約3,200ヘクタールの壮大な土地と荘園が広がり、更に雄大なポトマック川を見渡す風景は絶妙そのものです。また、さほど、読書人でもなかったワシントンの、「書物から得た知識は、更に知識を積み重ねるための土台である」と述べた言葉は有名です。1799年12月14日に死去したワシントンの人生は、「最初に戦争にあり、最初に平和にあり、そして最初に、彼の国民の心の中にあり、彼に勝る者はいなかった」と、当時の側近のワシントンに対する評価が残されています。悲しいかな、「国民の心の中にあり」と言えるような指導者は、現在はほぼ存在しません。

ジョージ.ワシントンの邸宅

2007年6月22日筆者撮影

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