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Image result for images of drowned father and daughterBy   CNN

米国に入国するため、国境を越える前に死亡した人々が発見されるニュースはここ数年で増えている。26日、父と小さな娘の溺死した遺体が国境で発見されたショックキングな画像が紹介されている。夫と娘が目前で死亡する瞬間を見た女性の苦痛が紹介されている時、トランプ大統領は、この事故は民主党の責任であると発言し、難民法を変えるよう要請した。胸が引き裂かれるような衝撃を受ける溺死した父と小さな娘の遺体は何を物語っている?

26日のワシントン.ポストによると、遺体で発見された男性の名前はオスカー.アルベルト.マルティネス.ラミレス、女児の名前はヴァレリアである。父と共に遺体で発見されたヴァレリアは母のタニア.ヴァネッサ.アヴァロスを含む家族に伴い、エル.サルバドルからアメリカ合衆国に入るため、1,000マイル以上を旅した。中央アメリカの母国の暴力から亡命を求めて、アメリカに入ることを試みる他の移民と同様に、彼らも平和な人生を求める一家族であった。彼らはメキシコのマタモロスにある国際橋で、難題に直面した。23日そこに到着した時、橋は閉鎖されていた為、翌日に横断するべきであると言われた。しかし、メキシコ側の国境近くにあるリオ.グランデに立っていた「彼らは必死」であった。そこから、向こう側の「アメリカは手の届くところに見えた」ため、マルティネスはヴァレリアの手を引いた。家族がテキサス州ブラウンズビルの反対側に行く前に、川の水は父と娘を下方に引っ張って彼らを呑み込んだ。幼児の父親マルティネスは勤勉でほぼ常に仕事をしており、自分のバイクを売って、家族をエルサルバドルからアメリカに移住するために借金をした。マルティネスとタニアはアメリカで家を確保することを望んでいた。タニアの母親マリア.エステラ.アヴァロスは「彼らは自分たちの女の子の為に、もっと良い未来を望んでいました」と語った。

Image result for images of Óscar Alberto Martínez Ramírez, Tania Vanessa Ávalos and their daughter, Valeria,タニア(左)、死亡したマルティネス(右)とヴァレリア(中央)By   Mirror

タニアの夫と娘はリオ.グランデ川を渡ろうとして、激流に押し流されて死亡した。死亡した彼女の娘はまだ23ヶ月であった。この様子を目撃したタニアは医療タンカーで搬送される時、 夫はどこにいるのかと尋ね、夫を返してと叫んでいる。遺体の描写と救済されたタニアの叫びを描写したCNNのビデオは更に衝撃的である。この劇的な動画は、ビール瓶が散在し、葦が散らばり、川岸の濁った水面にうつ伏せになっている父と娘の頭部は黒のTシャツに覆われており、彼女の小さな右腕は父の肩にのせられている状況を描写している。親子の遺体はテキサス州ブラウンズビルからリオ.グランデを横切るメキシコのマタモロス付近で発見された。この家族は 政治亡命を受理するため予約を待っていた。26日のCNNによると、メキシコで二ヶ月間待ったヴァレリアの両親は「絶望から川を渡る決心」をした。幼女を連れたカップルは、エルサルバドルからメキシコに着き、そこから、実際にはテキサス州のブラウンズビルの近くまでたどり着いていた。しかし、マルティネスは離れている彼の妻を援助するため、小さな娘をそこに残した。しかし、泳ぎながら離れていく父を見たヴァレリアは、父の後を追って川に飛び込んだ。この情景を撮影した写真家のジュリア.ル.デュックは、父親は赤いズボンと黒い靴を履いた小さな女の子をしっかり掴んだが、激流は彼らを押し流し溺死させたとメキシコ紙のLa Jornadaに報告した。同新聞社は、未亡人のタニアとインタビューし、彼女は23日に夫と子供が連れ去られたのを見たと語った。

エルサルバドルの町サンマルティンに住み、ピッツェリアで料理人として真面目に働いていたマルティネスの妻タニアは、メキシコ政府から人道ビザを取得したと述べた。妻と幼い娘を伴い、23日にマタモロスに到着したマルティネスは、米国から政治亡命を受けるため、申請手続きの予約を得ることを望んでいた。CNNによると、税関と国境保護局の関係者は国境沿いの入港地は、難民申請に圧倒されていると述べた。しかし、入国を困難にするトランプ政権の政策は「より多くの移住者に致命的な危険を冒させ、より危険な地域を渡らせることを推進している」と移民提唱者は述べ、国境での死者の数は増加すると警告している。

なぜ、溺死のイメージが特に衝撃的に描写され、強調されているのか? それは彼らが亡命を希望していた家族であったからだ。トランプ政権は、不法移民と難民を混同し、米国の国境を越える全ての人々を犯罪化し、彼らの入国を阻止するため、メキシコに待機させるという政策を推進していた。米国当局は、週にわずか平均3件の予約を受けていただけである。トランプ政権が合理的且つ人道的な対応をしていた場合、マルティネスと彼の家族がメキシコで二ヶ月以上待った挙げ句の果てに、彼と彼の幼女が溺死するような悲惨な事態が起きただろうかとの疑問を、メディアは沈黙のうちに問うている。歴史的に米国はもっと難民に寛大であった。

第二次世界大戦中、米国はナチスを逃れるヨーロッパからの莫大な数の政治亡命者を受け入れた長い歴史がある。当時、25万人以上の難民のヨーロッパ人が入国したことを受けて、米国議会は1948年に最初の難民法を制定し、この法律下で、更に40万人のヨーロッパからの難民を受け入れた。1975年4月、ベトナムの崩壊に伴い、米国は難民タスク.フォースと一時的な資金を使って、何十万人ものインドシナ人を定住させるという課題に直面した。その結果、議会は難民定住サービスの必要性を認識し、1980年に難民法を可決し、米国に入国する全ての難民のための定住サービスを標準化した。1980年の米国の難民法は「国連議定書で使用されている難民の定義を取り入れており、難民の定期的および緊急の入国を認め、難民の米国での定住に対する連邦政府の援助を承認し、難民定住の法的根拠を規定」している。近年まで、ほぼ全ての前政権はシリアを含めて、戦争で崩壊した国からの難民を受け入れていたが、難民プログラムの規模は常に変化し、近年減少した。1980年には米国は207,116人の難民を受け入れているが、2002年には27,100人に減少した。

2017年トランプ政権は、特にイスラム教徒の人口が大半を占める中東からの移民や難民を全面的に排除した。その大統領令にはシリアが含まれていた。大統領令によってトランプ大統領が推進したこの政策を最高裁が許可したため、特定の国からの移民や難民を排除する権力を彼に与える結果になったことは確実である。トランプは26日にマルティネスと彼の幼女の衝撃的な遺体の画像が公開された後、日本でのG20のサミットに出発する前にホワイトハウスの南芝で、 民主党は米国の難民法を変更しなければならないと述べた。民主党が法律を修正していたなら、「この素晴らしい男だった父親は、その娘と一緒にそのようなことは起こらないでしょう。リオ.グランデを渡るのは非常に、非常に危険な時があります」と記者団に言い、これは民主党の責任であると虚偽的に批判した。ここ数年、中央アメリカ、特にエルサルバドル、グアタマラ、ホンダラスのギャングの暴力から逃れている亡命者の数が増え、難民が増加している原因を調査している国連難民高等弁務官(UNHCR)の事務所は、これらの国からの難民は「国際的な保護」が必要であることを明確にしている。トランプ大統領がこの事実を理解しているかどうか疑問である。