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Photo credit : Washington Times

米史の中で、1920年代は経済が栄えた時期であり、アメリカ人はその豊かな経済状況に満足し、浪費を楽しんでいた。訓練された弁護士であり、元マサチューセッツの知事であったカルビン・クーリッジは大統領職の威厳を回復することを意識しており、静かで穏やかで機知に富んだ大統領として知られている。クーリッジは「英雄的な功績よりも性格で際立っていた」と評価する人もいた。彼は米国が比較的安定した良い時代の大統領として、政府は強い経済を妨害すべきではないと信じていた。

彼は、金持ちに減税したが、仕事を失った農家の人々をほとんど援助しなかった。人々はリスクを犯しても、益々彼らのお金を株式市場に注ぎ込んだ。クーリッジは、この問題に干渉することは大統領の仕事ではないと信じていた。つまり、彼は連邦の経済力を利用して経済ブームの成長を抑制したり、農業や特定の産業の不況を改善したりすることを拒否した。1923年に就任した年の4ヶ月後の最初の一般教書演説で、彼は外交政策として、特に他の国の戦争に米国が巻き込まれないことを含めて、米国の孤立を奨励し、減税と経済を強調し、農民への援助を限定するよう求めた。彼のこの政策は米国民の過半数に支持された。彼は農業救済法案に2回拒否権を発動したが、その後の批判が高まり、再選に立候補しないことを選択した。

米国合衆国の第30大統領:カルビン・クーリッジ

誕生と他界年:1872年7月4日 – 1933年1月5日 

生誕地:バーモント州プリマス・ノッチ

就任の時期:1923年8月2日 – 1929年3月4日

副大統領:チャールズ・ゲイツ・ドーズ

政党:共和党

学歴:1895年アマースト大学を卒業

有名な表現:“The business of America is business.” (アメリカのビジネスはビジネスです。)

”I have never been hurt by anything I didn’t say.” (私が言わなかったことで傷ついたことは一度もありません。)

”Character is the only secure foundation of the state.” (人格は国の唯一の安全な基盤です)

珍しい話(1): カルビン・クーリッジは1925年にラジオ放送で宣誓した最初の大統領である。クーリッジは、彼自身の父親であるジョン・カルビン・クーリッジによって、大統領就任の宣誓をリードされた。

珍しい話(2):彼は大学を卒業した後、ジョンという名前を除去した。彼の本来のフル・ネームは父親と同じジョン・カルビン・クーリッジである。

珍しい話(3):彼はバラク・オバマ以前にキューバーに訪問した最初の大統領である。

珍しい話(4):彼は独立記念日に生まれた最初で唯一の大統領である。

保守派の大統領として、クーリッジの国内政策におけるレガシー(遺産)は、主に経済であり、彼は米国の繁栄を維持することに最も強い関心を持っていた。ビジネスに対する規制は最低限であることを好み、予算のバランスに重点を置き、国の債務の削減を目指した。従って、退役軍人にボーナスを与える法案に反対したが、議会多数派の圧倒的支持によって可決した。彼がホワイトハウスを去った約半年後の1929年9月頃から、世界のほとんどの国に影響を与えた経済ショック(大恐慌)に直面した。株式市場は同年10月には莫大な暴落につながり、世界は20 世紀で最も長く、最も深刻で、最も広範囲に拡大した不況に晒されたのである。

また、外交政策にさほど関心を示すことはなかったクーリッジは、ケロッグ・ブライアン協定の署名に参加した。彼は1928 年 8 月 27 日にパリのフランス外務省で、米国、カナダ、英国、フランス、ドイツ、イタリア、日本、オーストラリア、ベルギー、アイルランド、ニュージーランド、ポーランド、チェコスロバキア、インド、南アフリカの代表者が署名し、調印された戦争を非合法化するケロッグ・ブライアン協定を支持した。これは1928 年の戦争放棄と平和に関する国際協定であり、調印国は、それらがどんな性質であろうと、どんな起源であろうと、「論争や紛争を解決するために戦争を使用しない」ことを約束した。ケロッグ・ブライアン協定は、米国国務長官フランク B. ケロッグおよびフランス外務大臣アリスティド ・ブライアンの名前にちなんでいる。これは、第一次世界大戦後、米国が別の戦争に巻き込まれないようにするため、および世界戦争を避けるための国際的な取り組みの ひとつであった。しかし、パリ協定と呼ばれることもあるこの協定は、1930 年代の軍国主義の台頭や第二次世界大戦の防止にはほとんど効果がなかった。クーリッジがこれに署名したことが彼の一つのレガシーである。